“核のゴミ”レポートPART49
北海道の放射性廃棄物施設問題をめぐる歴史をたどる(中)
ゴーサインは何故出たか

2026年02月号

〝核のゴミ〟地層処分に向けた、幌延町への深地層試験場の単独立地を受け入に走る北海道に対し、道北の酪農民が稚内から札幌までトラクターに乗って反対をアピール。道庁に到着し、集会を開いた(2000年9月18日)

国の高レベル放射性廃棄物対策の「要の地」として重要視された幌延


80年代に動燃(現日本原子力研究開発機構)が道北の幌延町で進めようとした「貯蔵工学センター」の計画は、道民や道庁、道議会などの反対に遭って90年代初めには「立地断念」の寸前になった。しかし、政府や動燃は巻き返しを図り、同センターの中核施設と位置づけていた「深地層試験場」に絞って建設を模索。当時の堀達也知事の支持母体にも働きかけ、98年には同試験場の単独立地を申し入れるに至る。こうした動きに道北の住民グループを中心にして再び反対の声が広がり、知事室前での座り込みなどを含む抵抗運動が展開された──。第2回は、立地断念の寸前から2000年10月の堀知事による深地層試験場の立地受け入れに至るまでの経緯をふり返る。

(ルポライター・滝川 康治)


「立地断念」寸前まで追い込まれ巻き返し作戦に動いた国と動燃


 1990年7月に道議会が「貯蔵工学センター設置に反対する決議」を可決したことで、幌延町での動燃の計画は暗礁に乗り上げ、八方塞がりになる。しかし、科学技術庁(現文部科学省)は、「計画の撤回はあり得ない。白紙に戻せばわが国の原子力政策全体に影響を及ぼす」などとして、立地を断念しなかった。
 まもなく、地元・周辺地域に対し、あの手この手の浸透作戦が始まる。動燃は原子力関連施設の視察や新聞・雑誌への広告の掲載などを進め、科技庁は幌延町と周辺7市町村を「重要電源等立地推進対策補助金」の交付対象に加え、事態の打開をめざす。全国の原発立地地域でくり返された、お金で自治体を懐柔し、立地に向けた地ならしを試みたわけだ。
 こうした動きを背景に92年、原子力委員会の専門部会は高レベル放射性廃棄物対策の基本計画を示した。計画には、2000年までに処分事業の実施主体を設立し、30~40年代半ばには処分場の操業をめざす、とある。計画を実現するかなめが「貯蔵工学センター」の中核施設とされた「深地層試験場」であり、そこには「処分場の計画と明確に区別して、複数の深地層試験場の建設を進める」と書かれている(注=94年に「原子力長計」で明文化)。
「明確に区別」する根拠は曖昧だが、道議会の反対決議で意気消沈していた“原子力村”の人たちは、立地戦略を練り直し、膠着状態の打開を模索し始めたのである。

堀達也知事に対する立地要請の直後、核燃機構が示した「訂正文」(98年10月)

条例や協定など「担保措置」と引き替えに立地を受け入れた当時の堀知事

銃なきハンター、最高裁で陳述へ

道警不祥事
減給処分の不同意わいせつは発表せず

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道が幌延町内で開催した反対派住民らとの意見交換会
(2000年9月9日)

知事室前に座り込み、立地受け入れに抗する道北の住民ら
(2000年10月2日)

道北連絡協議会は住民1000人を対象に世論調査を実施。その結果を伝えるチラシ
(2000年9月発行)

堀達也知事に対する立地要請の直後、核燃機構が示した「訂正文」(98年10月)

道が幌延町内で開催した反対派住民らとの意見交換会
(2000年9月9日)

知事室前に座り込み、立地受け入れに抗する道北の住民ら
(2000年10月2日)

条例や協定など「担保措置」と引き替えに立地を受け入れた当時の堀知事

道北連絡協議会は住民1000人を対象に世論調査を実施。その結果を伝えるチラシ
(2000年9月発行)

銃なきハンター、最高裁で陳述へ

道警不祥事
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