“核のゴミ”レポートPART49
北海道の放射性廃棄物施設問題をめぐる歴史をたどる(中)
ゴーサインは何故出たか

〝核のゴミ〟地層処分に向けた、幌延町への深地層試験場の単独立地を受け入に走る北海道に対し、道北の酪農民が稚内から札幌までトラクターに乗って反対をアピール。道庁に到着し、集会を開いた(2000年9月18日)
国の高レベル放射性廃棄物対策の「要の地」として重要視された幌延
80年代に動燃(現日本原子力研究開発機構)が道北の幌延町で進めようとした「貯蔵工学センター」の計画は、道民や道庁、道議会などの反対に遭って90年代初めには「立地断念」の寸前になった。しかし、政府や動燃は巻き返しを図り、同センターの中核施設と位置づけていた「深地層試験場」に絞って建設を模索。当時の堀達也知事の支持母体にも働きかけ、98年には同試験場の単独立地を申し入れるに至る。こうした動きに道北の住民グループを中心にして再び反対の声が広がり、知事室前での座り込みなどを含む抵抗運動が展開された──。第2回は、立地断念の寸前から2000年10月の堀知事による深地層試験場の立地受け入れに至るまでの経緯をふり返る。
(ルポライター・滝川 康治)
「立地断念」寸前まで追い込まれ巻き返し作戦に動いた国と動燃

堀達也知事に対する立地要請の直後、核燃機構が示した「訂正文」(98年10月)

条例や協定など「担保措置」と引き替えに立地を受け入れた当時の堀知事

道が幌延町内で開催した反対派住民らとの意見交換会
(2000年9月9日)

知事室前に座り込み、立地受け入れに抗する道北の住民ら
(2000年10月2日)

道北連絡協議会は住民1000人を対象に世論調査を実施。その結果を伝えるチラシ
(2000年9月発行)
堀達也知事に対する立地要請の直後、核燃機構が示した「訂正文」(98年10月)
道が幌延町内で開催した反対派住民らとの意見交換会
(2000年9月9日)
知事室前に座り込み、立地受け入れに抗する道北の住民ら
(2000年10月2日)
条例や協定など「担保措置」と引き替えに立地を受け入れた当時の堀知事
道北連絡協議会は住民1000人を対象に世論調査を実施。その結果を伝えるチラシ
(2000年9月発行)
目次へ
© 2018 Re Studio All rights reserved.