戦争遺産をめぐる旅 【120】
血に染まったオホーツクの浜

2026年01月号

機雷を前にする警防団員。この後に大爆発が起きたと言われる(1942年5月26日)

下湧別村のポント浜で起きた悪夢のような機雷大爆発事故


太平洋戦争が始まって約半年後の1942(昭和17)年5月26日、オホーツク海沿岸の湧別町(当時は下湧別村)のポント浜に漂着した機雷を処理しようとした際に大爆発が起き、一瞬のうちに死者112人、負傷者も同数の112人を出す大惨事があったことをご存知だろうか。危険性を軽視し、見物人を集めるなどして「戦意高揚」を狙った地元警察署などの対応が犠牲者を増大させたと言われる悲劇だった。機雷による国内最大規模の「事故」はどうして起きたのか。現地を歩き当時の状況を探った。

(ジャーナリスト 黒田 伸)

「機雷殉職の塔」に刻まれた悲劇


 投下爆弾をはじめ機雷、地雷の不発弾の処理は、戦争が起きた世界中の地域で戦後に行なわれている厄介な作業だ。湧別の機雷事故は誤った爆破処理のために世界でも例がない犠牲者を出した特異な事故と言える。否、事件と言った方がいいかもしれない。
 札幌から車で旭川を経由して湧別町に着いたのが約5時間後。今は高速道路が遠軽まで開通し、オホーツク海沿岸へも半日程度で行けるが、戦時中は丸2日はかかったはずだ。
 道内に初冠雪があった数日後、湧別町を訪れて最初に向かったのが町の中心部、栄町の湧別郷土館だ。ここに爆発した機雷の一部が展示されていると聞いたからだ。郷土館は冬の間は見学者がいれば開けることになっていて、隣接する体育館の窓口を訪れて鍵を開けてもらい中に入った。12の展示テーマの中に「薄荷・機雷」というコーナーがあって、そこに赤茶けたお椀型の鉄の残骸が展示されていた。
 パネルには「機雷の爆発」と書かれ、次のような説明があった。

湧別町内の寺院にある殉難者の慰霊碑

フットサル場「蹴」が盗まれた現場

緊急逮捕の実態
警官が証言

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浮遊機雷の処理で大爆発事故があったポント浜に建つ機雷殉職の塔

塔から機雷が流れついたオホーツク海を望む

海岸沿いの道で爆発事故は起きた

機雷の爆発に関する説明文

海から機雷を引き揚げる際に撮影された写真

事故を起こしたものとは別の機雷の残骸

「ふるさと館JRY」の中島館長

2個の機雷の浮遊地点と爆発場所

犠牲者の親族から提供された機雷の破片(火葬の際に見つかったもの)と説明文

浮遊機雷の処理で大爆発事故があったポント浜に建つ機雷殉職の塔

塔から機雷が流れついたオホーツク海を望む

海岸沿いの道で爆発事故は起きた

機雷の爆発に関する説明文

湧別町内の寺院にある殉難者の慰霊碑

海から機雷を引き揚げる際に撮影された写真

事故を起こしたものとは別の機雷の残骸

「ふるさと館JRY」の中島館長

2個の機雷の浮遊地点と爆発場所

犠牲者の親族から提供された機雷の破片(火葬の際に見つかったもの)と説明文

フットサル場「蹴」が盗まれた現場

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