“核のゴミ”レポートPART48
北海道の放射性廃棄物施設問題をめぐる歴史をたどる(上)
危うい「反対」の道是

1984年、動燃の事業所で発生するすべての放射性廃棄物を道北の幌延町に持ち込む「貯蔵工学センター計画」が浮上。危機感をいだく地元・周辺市町村の酪農民らが初の住民集会を開いた(85年11月、幌延町内で)
無責任で場当たり的な動燃に翻弄され続けた自治体と道民
北海道電力泊原発の再稼働をめぐり、鈴木直道知事が12月中に容認・同意する流れになっているが、これは核のゴミ(高レベル放射性廃棄物)の元になる使用済み核燃料をさらに増やし続けることを意味する。最終処分地の選定に向けたNUMO(原子力発電環境整備機構)の事前調査をめぐり「現時点では反対」とくり返してきた知事は、果たしてどこまで“核のゴミ”の発生源まで遡って問題点を考えているのか──そう疑問の目を向ける道民は少なくない。そこで今回から、1960年代に始まる本道での原子力関連施設の立地問題について、その歴史をたどりたい。第1回は、80年代に動燃の「貯蔵センター計画」で揺れた、いわゆる「幌延問題」を中心にふり返る。
(ルポライター・滝川 康治)
原発を推進してゴミは過疎地に
科学技術に幻想を抱いて先送り

幌延町開進地区で行なわれた動燃のボーリング調査

80年暮れ、下川鉱山で〝核のゴミ〟地層処分に向けた試験計画が表面化。翌年4月、坑内で試験が始まった(提供:名寄新聞社)

動燃は85年5月、ガラス固化体の熱利用というホラ話を載せた計画書を公表

85年8月、道北の酪農民が初めて幌延町内でトラクターデモ

幌延町内で核ゴミ施設の危険性をアピールする近隣町村の人たち(85年11月)
80年暮れ、下川鉱山で〝核のゴミ〟地層処分に向けた試験計画が表面化。翌年4月、坑内で試験が始まった(提供:名寄新聞社)
動燃は85年5月、ガラス固化体の熱利用というホラ話を載せた計画書を公表
85年8月、道北の酪農民が初めて幌延町内でトラクターデモ
幌延町開進地区で行なわれた動燃のボーリング調査
幌延町内で核ゴミ施設の危険性をアピールする近隣町村の人たち(85年11月)
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