戦争遺産をめぐる旅【119】
先人たちが夢を託した着陸場

2025年12月号

南千歳駅側の空港公園には千歳に初めて降り立った北海一号機のモニュメントがある

戦争に翻弄された「開港百年」
新千歳空港の知られざる軌跡


1988年に開港し、年間約2500万人が利用する北海道の空の玄関口である新千歳空港。同空港の前身は現在の航空自衛隊千歳基地の場所にあった「千歳空港」だった。空港としての源流は1926年に村民の力で滑走路が整備された「着陸場」で、同年に初めて飛行機が着陸したことから来年2026年は「千歳市空港開港100年」として祝賀行事が予定されている。1939年以後は軍事空港になったにもかかわわらず戦時中に空襲を受けなかったが、戦後はGHQの管理下に置かれるなど軍用空港としての歴史も長い。戦争になると標的にされる空港がなぜ空襲を免れたのか。戦争ともかかわりが深い歴史を紐解いた。

(ジャーナリスト 黒田 伸)


千歳に初飛来した操縦士


 新千歳空港を運営する北海道エアポート(HAP)は4月下旬、新千歳空港の2024年度の旅客数が国内線・国際線合わせて前年度比8.3%増の2482万6579人となり、1988年の開港以来、過去最多となったことを発表。年間の離発着回数は15万回を超え、国内有数の基幹空港である新千歳空港は「千歳空港開港百年」を前にお祭りムードだ。空港待合室やロビーにはポスターやフラッグが数多く掲示されている。
 この新千歳空港の原点はいつなのか。そして当時は何があったのか。調べていくうちにここにあった着陸場や飛行場が先の大戦前から北海道にとって大きな役割を担ってきたことがわかった。
 その第一歩を知るためにJR南千歳駅そばにある「空港公園」を訪れた。同駅は2024年11月まで「千歳アウトレットモール・レラ」の最寄駅として利用客が多かったが、現在は一部の土産店などが営業を続けているだけでひっそりしている。
 アウトレットモール施設のそばにある空港公園は、よほどの飛行機ファンか空港関係者でなければ訪れないだろう。
 園内に入って左手の小高い丘の上に置かれているのが99年前に初めて本州から千歳に飛んで来た複葉機「北海一号機」のモニュメント。そしてこの飛行機を眺めるように数十メートル離れた場所に立っている飛行服姿のブロンズ像、この人物こそが今や国内有数の発着回数を誇る新千歳空港の原点である着陸場に最初に降り立った酒井憲次郎操縦士だ。ブロンズ像の正面には「北海一號機操縦士之墓」と彫られている。横に回ると「酒井憲次郎操縦士の紹介」として金属のプレートに次の文章と年表があった。

倶知安町違法開発騒動に火をつけた
参院選候補

パワハラ死追及に一区切り
看護師遺族和解へ

警察官の不同意わいせつ事件、未発表か

寿都町長選の結果と今後の概要調査の行方

空港公園内にある酒井操縦士の銅像

千歳の着陸場に着陸した北海一号機の復元模型(名水ふれあい公園内)

北海一号機で初めて千歳に降り立った酒井操縦士

墜落地点近くに立つ殉難碑

エアポートヒストリーミュージアムの展示

空港公園にある北海一号機のモニュメントの全景

1951年ごろ設置されたと思われる千歳空港のモニュメント

終戦後に駐留軍に接収された千歳海軍飛行場

かつての千歳空港の航空写真

旧千歳空港とつながっていた空中回廊の切断部分

空港公園内にある酒井操縦士の銅像

千歳の着陸場に着陸した北海一号機の復元模型(名水ふれあい公園内)

北海一号機で初めて千歳に降り立った酒井操縦士

墜落地点近くに立つ殉難碑

エアポートヒストリーミュージアムの展示

空港公園にある北海一号機のモニュメントの全景

1951年ごろ設置されたと思われる千歳空港のモニュメント

終戦後に駐留軍に接収された千歳海軍飛行場

かつての千歳空港の航空写真

旧千歳空港とつながっていた空中回廊の切断部分

倶知安町違法開発騒動に火をつけた
参院選候補

パワハラ死追及に一区切り
看護師遺族和解へ

警察官の不同意わいせつ事件、未発表か

寿都町長選の結果と今後の概要調査の行方

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