
(つしま・のりあき)1953年3月美唄市生まれ。大学卒業後に社会福祉法人を設立、84年に豊平区に特別養護老人ホーム「幸栄の里」を開設。創業時より在宅サービスに取り組み、日本初の株式会社による在宅介護サービスの提供や「夜間対応型訪問介護」「定期巡回・随時対応型訪問介護・看護」サービスを開発し、国の制度として普及。2014年にアンデルセン福祉村に日本医療大学を開学し21年に豊平区月寒東に新築移転。11法人・職員数3,400名で構成されるつしま医療福祉グループ代表。社会福祉法人ノテ福祉会理事長、学校法人日本医療大学理事長。一般財団法人つしま医療福祉研究財団会長、国の一億総活躍国民会議民間議員をはじめ厚労省の社会福祉法人のあり方に関する検討会構成員、一般社団法人日本認知症ケア学会評議員など公職多数。72歳
──初めて佐藤さんと会ったのは。
対馬 私が札幌青年会議所(JC)に入ることになった1988年でした。入会するには、会員の推薦人が2人必要で、そのひとりとして佐藤さんになってもらったのです。
ご本人のことは知っていましたが、それまで話したことはなかった。推薦人になってもらうために顔を合わせると、「佐藤良雄です。よろしく」と自己紹介をしてくれた。自分をフルネームで紹介する人は珍しく、政治家みたいだと思ったのが第一印象です。まさか、あれから37年間にわたる無二の親友になるとは思ってもいませんでした。
──年齢が同じでしたね。
対馬 2人とも昭和28年生まれで、佐藤さんが3月2日、私は3月3日と1日違い。佐藤さんはJCを通じて2歳上の大谷喜一さんとも知り合っており、その後は3人で会う機会が増えていきました。
──何かと3人で集まっていた。
対馬 当時、私は介護事業を始めた頃で佐藤さんや大谷さんの会社もそれほど大きくなく、3人とも今より時間があったので毎週のように3人でランチミーティングをしていました。それは互いの夢を語り合い、悩みを打ち明けたりアドバイスをもらったりする場でもありました。
そんな私たち「若手経営者3人組」は、事業を大きくして株式を上場することを共通の目標にした。実際に3人とも上場を果たしましたが、私はその後、大学を創設したいと考えて上場企業を手放す流れになった。
親しくなったのは、3人の波長がなんとなく合ったからだと思います。それぞれ個性も事業も違うが、互いに尊敬できる面がある。そんな風にそれぞれ感じていたことが付き合いが長く続いた理由かもしれません。