追悼特集
急逝した小金澤健司 北海道観光機構会長の足跡と直言
単身で渡道し北の大地で花を開かせた芸大中退生

2025年03月号

応じた取材で機構改革の意気込みと意義を話す小金澤会長
(2023年6月30日撮影)

残した観光機構大改革のレガシー

WEBコールセンター、アイティ・コミュニケーションズ(本社札幌)創業者で、2022年6月から公益社団法人北海道観光振興機構(のちに北海道観光機構に名称変更)会長に就いていた小金澤健司氏が1月11日、64歳で客死した。大阪で金融系の会社に勤めた後、40歳で単身渡道してアイティ・コミュニケーションズを起業し、札幌を中心に全国6カ所とベトナムに拠点を持つ従業員約1500人の会社に成長させた経歴。そんな小金澤氏が観光機構の大改革に取り組んでいる最中に飛び込んできたのが今回の訃報だった。本特集では、生前に交流のあった人たちに同氏の人となりを尋ね、後半で本年1月号に掲載した直近のインタビューを再録した。胸に熱い情熱を抱いていた類稀な起業家を偲び、その軌跡を辿りたい。

(佐久間康介)


「お宅は何人?」「ひとりです」


 1960年5月生まれの小金澤氏は名古屋市出身。名古屋学芸大学の美術学部で工業デザインのインテリアを専攻したが、大学3年で専攻を陶芸に変え、ろくろを回し始めたが、6年間通って結局中退。その後、高校の美術教師を目指すも、まずは生活を安定させようと先輩が経営していたデザイン事務所に入った。しかし、数年後にその事務所も行き詰まり、サラリーマンの世界に飛び込んだ。27歳だった。
 就職したのは大阪の金融系の関連会社。デザイナー職で採用されたが、配属されたのは広報や宣伝の部署。デザインとは無縁だったが、そこで出合ったのがマーケティングのプランナーの仕事だった。テレマーケティング、コールセンターとの接点を持つうちに、コールセンターに興味を抱く。当人曰く、「コールセンターの業界は典型的な大手寡占。ベンチャーでは出来ないと言われていた。ならば、業界の非常識にぶつかって行こうと」。
 そこで単身乗り込んできたのが札幌だった。2000年、40歳の時だった。最初に訪ねたのはコールセンターを誘致していた札幌市役所。当時、その担当が現副市長の町田隆敏氏(69)だった。面談で町田氏が「ところでお宅の会社には何人いるの」と聞くと、小金澤氏は気後れもせず、堂々と「私、ひとりです」と話したエピソードは語り草になっている。この町田氏との出会いは、その後の小金澤氏の北海道での人脈形成の入り口になった。
 札幌で早々に知り合ったのが、ソフトフロント創業者で現在はムラタオフィス代表を務める村田利文氏(68)だ。村田氏は最初の出会いをこう語る。「2000年頃、ソフトフロントは求人誌に人材募集の広告を出しました。小金澤さんもその求人誌に人材広告を出していて、隣同士に掲載されました。そうしたらいきなり電話がかかってきて、『求人誌で隣り合わせの縁もあるので面談させてほしい』と。話しているうちに意気投合しました」。

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