〝農と食〟北の大地から 連載第209 回
追悼 足寄町の放牧酪農家 吉川友二さんの人生を辿る
種を蒔き道筋をつけた放牧酪農 牛の偉大さを尊ぶ牧夫精神とは

2025年02月号

夕方になり、ミルキングパーラーに向かう牛たちを見守る吉川友二さん(2020年7月)

北海道の放牧酪農のリーダー的存在だった十勝管内足寄町の吉川友二さん(1964年、長野県生まれ)が昨年11月25日、59歳の若さで逝去した。23年秋に膵臓癌と診断されて闘病生活を送っていたが、旅立つ直前まで多くの人たちと語り、放牧酪農やアニマルウェルフェア(家畜福祉・AW)のあり方などについて発信し続けた。「家畜との良い関係を築き上げるためには、ストックマンシップ(牧夫精神)が必要」、「日本のAW問題を解決するには、*畜産の現状をしっかり伝えること *食品表示義務の徹底 *義務教育の段階で食育を取り入れる」……。青春時代に抱いた「自然保護のような仕事をしたい」との夢を放牧酪農を通じて実現させた人生から、わたしたちが学ぶことは多い。

(ルポライター・滝川 康治)

『牛が耕す牧場』に触発されてニュージーランドで酪農実習へ


 昨年10月5日、NPO法人さっぽろ自由学校「遊」で企画した、「ありがとう牧場」の見学会が吉川友二さんと直接話す最後になった。当日は、放牧地や夕方の搾乳に戻る牛たちの様子などを観察。懇談の場では「アニマルウェルフェア(AW)とストックマンシップ」と題した数枚のレジュメが配られ、参加者との意見交換も行なっている。
 吉川さんは2023年秋に膵臓癌が見つかり、余命宣告を受けた。その直後にバリ島へ自転車旅行に出向き、昨年は知己の牧場などを訪問するなど精力的に動いた(拙宅にも来てくれた)。精神的に落ち込んだ様子を窺わせなかったのは、心身ともに強い人ゆえだろう。
 この見学会から間もなく容体が悪化して入院し、病床で前出のレジュメをベースにした長文の論考(後述)を書き上げる。いったん退院したが、11月25日夜、帰らぬ人になった。放牧酪農のみならず、AWの実践面でも期待した人物だっただけに、早すぎる旅立ちが残念でならない。


 吉川さんは、少年時代から田舎暮らしを夢見て育ち、北大水産学部に進んでからは自然保護のような仕事をしたい、と考えた。卒業後は、自給自足の暮らしをめざして道内の有機農家などを訪ね歩き、本州での出稼ぎ生活も経験する。

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「ありがとう牧場」の生乳を使い本間幸雄さんが製造したチーズは、国内外のコンテストで受賞を重ねている

傾斜地が多い草地は牛たちと人間との共同作業で今日の姿に

新規就農から日が浅いころ、視察に訪れた人たちに説明する吉川さん(2003年夏)

逝去から50日ほど前、さっぽろ自由学校「遊」の見学会で放牧酪農について解説(昨年10月5日)

レジュメを元に「家畜福祉とストックマンシップ」について語る
(右端・昨年10月5日)

真冬の「ありがとう牧場」。牛たちは屋外でたくましく生きる

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