Journal's Eye
留萌沖の「三船遭難事件」で明らかになった沈没船の姿
深海工学会の調査チームが慰霊祭で初公開

2024年10月号

「三船殉難之墓」の前で手を合わせる遺族ら関係者(8月22日、留萌市内の了善寺)

浮かびあがった船影


 終戦直後の1945年8月22日未明に樺太の大泊(コルサコフ)港から引き揚げ者を乗せ小樽に向かっていた引き揚げ船3隻が旧ソ連軍の攻撃を受けて2船が沈没、1船が大破し、1700人以上の犠牲者を出した留萌沖の悲劇「三船遭難事件」。
 この事件から79年目の8月22日、留萌市の了善寺で執り行なわれた慰霊祭で、今も日本海の海底に眠る2船の船影が鮮明に映った立体図が関係者に公開された。沈没船の実際の様相が明らかになったのは初めてで、将来の引き揚げや遺骨収集につながる可能性もある。


 今回の沈没船(小笠原丸と泰東丸)に関する海底調査は、東大名誉教授で一般社団法人「ラ・プロンジェ深海工学会」(長崎県五島市)代表理事の浦環(うら・たまき)さんら10人の研究チームが留萌沖合で行なったものだ。
 8月20日早朝に、最新の探測機「マルチビームソナー」を取り付けた遊漁船で留萌港を出港し、沈没地点で船を往復させながらデータを収集。データ解析を進め、完成させた立体図を遺族や報道陣に公開した。
 水深によって色付けされたカラーの立体図を見ると、旧逓信省の海底ケーブル敷設船だった小笠原丸は細い船首から太い胴体までの全体像が確認でき、マストの残骸とみられる上部の構造物も残っていた。平面図も得られており、ほぼ元の姿のままで船体を南北に向けて沈んでいるとみられる。
 もう一方の沈没船である泰東丸は、船体の大半が海底の砂地に埋まっているとみられ、一部しか確認できなかった。これらの違いについて調査チームの浦代表理事は、「小笠原丸の沈没地点の海底は岩場だったため砂に埋もれることなく、原形をほぼ保ったまま残っていたのではないか」と説明している。

今回の調査では新たな沈没船も見つかった

慰霊祭で説明するラ・プロンジェ深海工学会の浦環代表理事

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小笠原丸の平面図も公開された

公開された小笠原丸の立体図と元の船影

泰東丸は船体が不鮮明だった

今回の調査では新たな沈没船も見つかった

慰霊祭で説明するラ・プロンジェ深海工学会の浦環代表理事

小笠原丸の平面図も公開された

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