Interview
北洋銀行の新トップに就任した津山 博恒 頭取に訊く
行員と「日々挑戦」を積み重ね北海道の成長を全力で後押し

2024年06月号

(つやま・ひろのぶ)1968年2月生まれ。北海道函館市出身。91年横浜市立大卒、北海道拓殖銀行入行。98年11月北洋銀行入行、新川中央支店長、経営企画部担当部長を経て2019年4月執行役員経営企画部長、20年4月執行役員本店営業部副本店長、21年6月常務執行役員帯広中央支店長兼帯広西支店長兼帯広南支店長、23年6月常務取締役、24年4月頭取就任。56歳

「故郷の役に立ちたい」が原動力

北洋銀行(本店札幌市)の新頭取に4月1日付で元常務の津山博恒氏が就任した。かつて「北海道のために役立ちたい」という思いから拓銀マンとなった津山氏は6年後に同行の破綻を経験したが、初志を忘れず北洋銀行入りを決めた経歴の持ち主。看板の「食と観光」に加え、半導体や洋上風力などグリーントランスフォーメーション(GX)で北海道は今、大きな転機を迎えている。ポテンシャルの宝庫と言われ続けてきた北の大地が実力を発揮する段階に入ってきた中で、その役割が問われているのが道内のリーディングバンク、北洋銀行だ。就任まもない津山新頭取に抱負とこれからの舵取りを訊いた。

(4月16日取材 工藤年泰・佐久間康介)

|誇らしい故郷、北海道への貢献を目指して拓銀へ入行|


 ──まずは新頭取としての抱負を。
 津山
 金融業界ではマイナス金利が解除されるなど、いろいろな意味で今が変化のタイミングです。北海道でも、半導体のラピダス進出をはじめGX、データセンターなど新たな動きが出ています。既存の観光や食の分野もコロナ禍から回復してきており、まさに地域が変わっていく時期が来ていると思います。そういう節目の中で就任したので、北海道を変えていかなければいけないという気持ちが強い。ラピダスやデータセンター、GXなどの効果を道央圏から全道に広げていくのが、私たち北洋銀行の役目でもあると思っています。
 ──函館生まれと聞いています。
 津山
 五稜郭公園の近くで生まれ、亀田地区で育ちました。父も銀行(北海道拓殖銀行)マンで転勤族だったので、小さい頃に札幌に引っ越し、小学校5年生から名古屋に行き、その後は千葉県に引っ越すなど大学時代を含めて本州暮らしが長かった。
 ──馴染みのない土地では苦労されたのでは。
 津山
 苦労というより、今ではどれも良い思い出です。引っ越し先でびっくりすることもいろいろとありました。札幌から名古屋に移った時は、食文化の違いに驚いた。うなぎがこんなに美味しいのか(笑)とか。当時住んでいたのは「小牧・長久手の戦い」で有名な長久手に近いところ。史跡もたくさんあり歴史を身近に感じましたね。
 ──父親と同じ道を選んだ理由は。
 津山
 親を見て「銀行員になりたい」と思ったわけではありません。高校生や大学生の頃、友人から出身地を聞かれて北海道だと答えると、とても羨ましがられた。本州の人たちにとって北の大地は憧れの場所なんですね。そんな故郷が誇らしくなり、北海道のために何かがしたいと思うようになった。その思いを実現できると考えて、就活では拓銀を第一志望に選びました。
 ──入行されたのが、まだバブルの余韻が残る1991年でした。ですが、その拓銀は6年後の97年に経営破綻してしまった。
 津山
 当時は室蘭支店勤務だったのですが、自分が勤めていた会社がなくなるのですから本当にびっくりしました。破綻前日は休日で釣った大きなソイをカルパッチョにしながらサッカーW杯予選を観戦して、「勝った! 日本がW杯に行ける」と喜んでいました。ところが次の日に会社に行ったら、破綻したと。前日との落差もあって衝撃をより大きく感じたのを今でも覚えています。

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