Interview
創業60周年を迎える野口観光の野口和秀 社長に訊く
祖父が生んで、父が育てた野口ブランドを新たに磨く

2024年03月号

(のぐち・としひで)1977年11月27日生まれ、登別市出身。産能大学経営情報学部卒業後、2001年に野口観光入社。10年野口観光マネジメント常務。17年野口観光副社長。22年6月、同社の3代目社長に就任し現在に至る。46歳

目指す「ビッグとグッドの両立」

道内外で21カ所のリゾートホテル・旅館を展開し、今年創業60周年を迎える「野口観光グループ」(本社登別市)。2022年6月に社長に就任した3代目トップ、野口和秀氏(46)は、グループを率いる新リーダーとしてコロナ禍で打撃を受けた業績の建て直しに手腕を発揮した。「今後は会長(故・野口秀夫氏)が残してくれた課題に着手する」とする野口社長に、これまでの歩みを振り返ってもらいながら自身が描く「野口観光の明日」を訊いた。目指すのは「ビッグとグッドの両立」だ。

(1月17日取材 聞き手=工藤年泰)

|基礎を築いた祖父と新たな野口観光を作った父に感謝|


 ──1964年の登別プリンスホテル開業を皮切りに、現在では道内外で21カ所のホテルを展開されている。まずは、野口観光グループの60年を振り返ってください。
 野口
 創業者である祖父(故・野口秀次氏)は車のディーラーという異業種から観光業に参入し、急激に業績を伸ばした経営者でした。ホテル・旅館業は建物がないと経営できませんが、そのための融資を受けても返済までのサイクルが非常に短かった。このことには今でも驚かされています。
 一方、祖父から会社を引き継いだ父(野口秀夫氏)は宿の形態の多様化に着手し、従来の「リーズナブル」に加え、「アッパーミドル」「ハイグレード」を加え、3つのカテゴリーを作りあげました。
 いま思うと、これは経営のリスク分散を狙った多角化でした。
 父が社長に就任した頃、2000年3月に有珠山の噴火が起き、有珠山・洞爺地区だけでなく北海道全体に風評被害が広がりました。これにより特に団体客が激減し、観光業が大きな痛手を被りました。
 こういう出来事を踏まえ、地域だけでのリスク分散は不十分だと考えたのだと思います。
 創業者の頃は、全道各地にホテルを展開する地域の多角化経営で急成長しましたが、ターゲットや宿の形態はリーズナブル路線のみでした。
 それを父は個人客や海外客を取り込むため、北海道洞爺湖サミット(2008年7月)が開催される少し前に、高級路線の「望楼NOGUCHI登別」を開業しました。ここではお子さんの宿泊は不可としましたが、要望を踏まえてその後の「望楼NOGUCHI函館」は宿泊できるようにしました。その後、リーズナブルとハイグレードの中間、アッパーミドルゾーンとしたのが当グループの「風」シリーズです。

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