「桐島聡」死亡で囁かれる共犯・大道寺あや子に国内潜伏説
釧路に生まれた日本赤軍の残党はいま何処にいるのか

2024年03月号

右は最初の手配書の顔。左は約30年前に撮影されたものと言われる(警視庁のホームページより)

1974年から75年にかけて連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線のメンバーとして指名手配されていた桐島聡容疑者(70)を名乗る男が1月29日、入院先の病院で死亡した。警視庁公安部は2月2日までに男のDNA型を桐島容疑者の親族と照合し「親族関係に矛盾なし」との結果が出たとし、容疑者本人かどうかの特定を進めている。半世紀に亘る逃走劇が明らかになる中で、注視されるのが共犯者として今なお国際手配中の釧路出身、大道寺あや子容疑者(75)の動向だ。

(ジャーナリスト 黒田 伸)

爆弾テロを支えた女


 桐島容疑者は、1975年4月17日に東京・銀座の韓国産業経済研究所に手製の時限爆弾を仕掛け翌日に爆破した疑いで同年5月に指名手配。事件から50年近くが経過しているが、犯行グループのメンバーである大道寺あや子容疑者らが海外逃亡しているため時効は停止されていた。
 その大道寺あや子は、74年8月30日に東京・千代田区丸の内で三菱重工爆破事件を起こし、8人の死者を出した大道寺将司の妻だ。将司は東アジア反日武装戦線「狼」グループのリーダーで、死刑確定後の2017年5月24日、収監中の東京拘置所で病死している。
 釧路生まれの2人は釧路湖陵高校の同級生で在学中はほとんど接点がなかったが、将司はアイヌ民族に対する差別などを知り、政治に関心を寄せるようになって学生デモなどに参加。高校卒業後は東京や大阪で浪人生活を送りながら新左翼の運動に関わった。一方、あや子は高校の同窓会で将司と再会し、将司が参加していた「研究会」に勧誘され、星薬科大学を卒業後に結婚。当初は新宿区内の病院で薬剤師として勤務していたが、将司の爆弾闘争を支えるため薬品の入手目的で試薬会社に転職。三菱重工爆破事件では時限爆弾を設置した現場の見張り役を担当するなど重要な役割を担っていた。
 事件から約10カ月後の1975年5月19日、大道寺あや子は逮捕される。ところが77年に日本赤軍が起こしたダッカ日航機ハイジャック事件で政府による「超法規的措置」を受けて釈放され、アルジェリアに逃亡。その後、国際指名手配され、いまも公安当局の捜査が続いている。
 筆者が大道寺あや子の行方に関心を持ったのは、大道寺将司の死刑確定後の1990年代後半、将司の母、大道寺幸子さん(2004年死去)に何度か取材する機会があったからだ。幸子さんは、埼玉県でひとり暮らしをしながら死刑廃止運動に関わり、東京拘置所に通って息子と面会を続けた。

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