Interview
野口観光3代目トップ 野口和秀 社長に訊く
祖父と父が築いた土台に加えたい自分の新カラー

2023年02月号

(のぐち・としひで)1977年11月27日生まれ、登別市出身。産能大学経営情報学部卒業後、2001年に野口観光入社。10年野口観光マネジメント常務。17年野口観光の副社長。22年6月、同社の3代目社長に就任し現在に至る。45歳

地域に支持される宿泊業者に

北海道の観光ホテル・旅館業を牽引する野口観光グループ(本社登別市)の野口秀夫社長(当時)が長男の和秀副社長(同)に次代の舵取りを託したのは昨年6月。だが、その和秀新社長へのインタビューが実現する直前に伝えられたのが、ほかならぬ秀夫氏の逝去(12月15日没。享年75)の報せだった。まだ喪が明けきらぬ中で気丈に取材に応じた和秀社長は、父・秀夫会長への率直な思いや、これからの展望などを真っ直ぐな言葉で本誌に語った。行動制限の緩和や全国旅行支援が始まっているいま、道内業界最大手は新リーダーのもとでどう動くのか──。

(12月27日取材 聞き手=工藤年泰)

|願って叶わなかった会長と社長二人三脚での並走経営|


 ──弊誌も大変お世話になった野口秀夫代表取締役会長が逝去された報に接し、言葉を失いました。
 野口
 残念ながら12月15日に息を引き取りました。ただ、亡くなる前日くらいまで意思疎通もしっかり出来ましたし、退院という話もあったんです。それが、容態が急変してしまって──。見守っていた家族としても「こんなに一気に変わるものなのか」と思うくらいの最期でした。
 ──私が5月にインタビュー取材でお目にかかった際、以前に比べてかなりお痩せになったと感じました。
 野口
 膵臓がんが見つかり、手術をして、糖質制限や抗がん剤治療をしていた関係もあったからだと思います。いろいろな方々からご心配、お気遣いを受けたのですが、本人の希望もあって病名をお伝えするのは控えていました。
 ──誰よりもご家族、そして和秀社長が無念だと思います。
 野口
 私は6月に社長に就きましたが、実はそれから5年間は会長と私の2人で並走(経営)していこうと話していたんです。創業者(祖父の野口秀次氏)と会長もおよそ5年間、並走経営していたのだそうです。会長が私に伝えたかったことは、まだまだ沢山あったと思います。
 ──重ね重ね残念です。ところで父親としての会長はどのような方でしたか。
 野口
 私が生まれた頃はちょうど野口観光が多角化(全道展開)を進めていた時期でした。生まれた翌年にあたる1978年から、苫小牧を皮切りにした多角化が急に始まり、それに父もかなり忙しかったようで、私としては遊んでもらった記憶はあまりないんです。しかし、そんな中でも運動会などの行事には必ず顔を出してくれていました。普段なかなか会えない分、そういったところでバランスを取っていたのだろうと、そう思い返しています。
 ──経営者としての顔については。
 野口
 会長の功績として間違いなく現在の野口観光を助けてくれているのが、リーズナブル、アッパーミドル、ハイグレードという客層の多層化です。

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悲しみをおさえて気丈にインタビューに応じた野口社長(12月27日午後、同社の札幌営業所で)

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