Interview
「浦河ひがし町診療所」院長 川村敏明 医師に「精神医療の可能性」を訊く
医者を高い所に置くのは一番下手糞なやり方です
(かわむら・としあき)1949年森町出身。函館ラ・サール高校を経て68年北海道大学水産学部に進み3年で中退。2年後に札幌医科大学入学。卒業後は81年から浦河赤十字病院に2年間勤務。札幌の旭山病院でアルコール依存症の治療に従事した後、88年に再び浦河日赤に入職し精神神経科部長として「浦河べてるの家」の活動に携わる。2014年に病院を退職し、「浦河ひがし町診療所」を開院。里親制度の普及にも力を入れ自らも里親として子どもを育てている。浦河町在住。73歳
わずかな正解を皆で持ち寄ろう
日高管内浦河町にある精神障害者のコミュニティ「べてるの家」。この「べてる」に浦河赤十字病院(浦河日赤)の精神神経科部長としてソーシャルワーカーの向谷地生良氏(現・北海道医療大学教授)と共に深く関わってきたのが川村敏明医師(73)だ。その後、浦河日赤は、べてるの活動などにより2014年に精神科の病床を返上。病院を退職した川村氏はこの年に「浦河ひがし町診療所」を開院し、今も患者たちに寄り添い続けている。そんな川村院長の医療の原点は患者における当事者性を重視すること。「僕がやってきたことは常に周囲の期待外れ」と笑う川村院長に、これまでの歩みをはじめ医師としての信念、精神医療の可能性を訊いた。
(9月12日取材/工藤年泰・武智敦子)
|当事者性を見つめ浦河で始めた「期待外れの医療」|
冬には暖炉に火がともる診療所の談話室
壁一面に飾られた患者たちの作品
「期待に応えないダメな医者を40年やってきた」と話す川村院長
(浦河ひがし町診療所で)
医療法人薪水「浦河ひがし町診療所」
浦河郡浦河町東町ちのみ1丁目1番1号
「期待に応えないダメな医者を40年やってきた」と話す川村院長
(浦河ひがし町診療所で)
冬には暖炉に火がともる診療所の談話室
壁一面に飾られた患者たちの作品
医療法人薪水「浦河ひがし町診療所」
浦河郡浦河町東町ちのみ1丁目1番1号
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