Interview
「浦河ひがし町診療所」院長 川村敏明 医師に「精神医療の可能性」を訊く
医者を高い所に置くのは一番下手糞なやり方です

2022年11月号

(かわむら・としあき)1949年森町出身。函館ラ・サール高校を経て68年北海道大学水産学部に進み3年で中退。2年後に札幌医科大学入学。卒業後は81年から浦河赤十字病院に2年間勤務。札幌の旭山病院でアルコール依存症の治療に従事した後、88年に再び浦河日赤に入職し精神神経科部長として「浦河べてるの家」の活動に携わる。2014年に病院を退職し、「浦河ひがし町診療所」を開院。里親制度の普及にも力を入れ自らも里親として子どもを育てている。浦河町在住。73歳

わずかな正解を皆で持ち寄ろう

日高管内浦河町にある精神障害者のコミュニティ「べてるの家」。この「べてる」に浦河赤十字病院(浦河日赤)の精神神経科部長としてソーシャルワーカーの向谷地生良氏(現・北海道医療大学教授)と共に深く関わってきたのが川村敏明医師(73)だ。その後、浦河日赤は、べてるの活動などにより2014年に精神科の病床を返上。病院を退職した川村氏はこの年に「浦河ひがし町診療所」を開院し、今も患者たちに寄り添い続けている。そんな川村院長の医療の原点は患者における当事者性を重視すること。「僕がやってきたことは常に周囲の期待外れ」と笑う川村院長に、これまでの歩みをはじめ医師としての信念、精神医療の可能性を訊いた。

(9月12日取材/工藤年泰・武智敦子)

|当事者性を見つめ浦河で始めた「期待外れの医療」|


【べてるの家】※1984年に浦河町に設立された精神障害者らの地域活動拠点・生活共同体の総称。社会福祉法人「浦河べてるの家」、有限会社、NPOなどで構成され、日高昆布の加工・販売や当事者研究などに取り組んでいる。


 ──診療所の開業前は浦河日赤の精神神経科に勤務されていた。
 川村
 札幌医科大学を卒業後、1年間は附属病院の医局で学び、2年目の1982年に研修医として浦河での地方勤務を体験した。それがこことの最初の出会いです。父親は道南にある森町で魚の仲買人をやっていたんですが、来てみると故郷と雰囲気や規模がよく似ていました。
 ──だから医大の前は北大の水産学部で学んだ。
 川村
 親孝行したんですよ(笑)。漁業学科に進んだので海洋実習で北洋にも行きました。船での仕事は危険を伴うので「学生はどいてろ」と。でも僕は魚屋の息子なので作業ができて馴染んでもいた。甲板員が「お前の家、何やってたんだ」と聞くので「うちは魚屋です」と言うと「そうか、そうか」と。学生の中では珍しい存在でした。

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(浦河ひがし町診療所で)

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