【創刊50周年 特別インタビュー】 伝説の漫画家、その人生と横顔
難破船の僕は漫画を描く事で世の中に繋ぎ止められてきた

2022年10月号

(すずき・おうじ)1949年愛知県西尾市出身。画家、漫画家、ミュージシャン。少年時代から漫画にのめり込み67年に上京。69年11月、月刊漫画雑誌『ガロ』に発表した『庄助あたりで』でデビュー。その後、水木しげるのアシスタントを約1年半務め、その後に独立。著書に『マッチ一本の話』『海のタッチ』『こくう物語』『東京グッドバイ』など多数。代表作に映画化された『オートバイ少女』など。近年は過去の未掲載作品が単行本化され、海外での出版も相次いでいる。CD『未明ノ歌』『ダ世界』を発表するなど音楽活動も展開。82年から浦河町在住。72歳

漫画家 鈴木 翁二氏

小学生の頃から手製の漫画本をつくっていた


 ──いまさらですが、なぜ漫画家を目指したのかなと。
 鈴木
 漫画を好きになったのは小学生の頃。あの頃の子供の楽しみって今みたいにいろいろ種類があったわけじゃないし、昔の大人は「漫画ばかり読んでるんじゃない」とよく説教していた。それでも月刊漫画を1冊買ってもらい、友達同士で交換して読んでいたんだよね。
 ──その頃のお気に入りは。
 鈴木
 光文社から出ていた『少年』という漫画雑誌があって、鉄人28号や鉄腕アトム、矢車剣之助とかが好きだったな。昔は付録も多くて、ぶ厚くて縛ってあった。あの頃の子供はそんな付録の工作で作るおもちゃに惹かれたもの。中でも『少年』の工作は、色味に青色や銀色などを使って、その未来感に意味があった。
 ──多くは読んで終わるところが、翁二少年は描く方にのめりこんだと。
 鈴木
 描くのはとにかく好きだったね。小学3年生の頃から実際に漫画雑誌を自分で作っていたから(笑)。わら半紙をホチキスで止めて、表紙や目次も作り、いろいろな人がそこで連載しているイメージで自分で全部を描いていた。中学生になってからは原稿として描くようになったので、向き合い方がもう少し現実的になったかな。
 ──いずれ、どこかの出版社に持ち込んでやろうと。
 鈴木
 うまくいったら投稿してみようかなぐらい。とにかく漫画というものを描いてみたかった。だけどペンが上手く扱えなくて万年筆だけで描いて1本パーにしたりね(笑)。

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