【創刊50周年 特別インタビュー】「北方ジャーナル事件」と本誌の現在
昔のような北方ジャーナルに決して戻らないでもらいたい

2022年09月号

(うえだ・ふみお)
1948年6月11日中川郡幕別町出身。中央大学法学部卒。75年司法試験合格、札幌で弁護士登録し78年から道央事務所に所属。日本弁護士連合会・人権擁護委員会副委員長などを務め、少年事件や医療事故などの弁護活動に取り組む。2003年6月札幌市長選再選挙で初当選。以後連続当選し3期12年を務め15年に政界引退。弁護士業務の傍ら市民運動家として反戦と人権問題にかかわる。74歳

弁護士 上田 文雄氏

「表現の自由」の限界が問われた歴史的な事件


 ──創刊50周年を迎えて、私たちの「北方ジャーナル事件」の意味をもう一度捉えなおしておきたいと考えています。言論や表現の自由とは何なのかと。
 北方ジャーナル事件が起きた1979年当時、上田さんは弁護士として駆け出しの頃だったわけですが、どのような流れでこの事件に関与することになったのですか。
 上田
 私が札幌の道央事務所で活動を開始して1年目に起きた出来事でした。当時、旭川の菅沼文雄弁護士が五十嵐広三さんの代理人として北方ジャーナル関係の事案をずっとやっておられたわけです。
 それが知事選がらみになって、新進気鋭で知られていた横路民雄弁護士が在籍していたウチの事務所にも声がかかった。それで菅沼事務所と道央法律事務所(江本・横路・村岡・上田)が共同で担当することになり、私も担当弁護士のひとりとして事前発行差し止めの仮処分申立に関与させてもらったということ。それが「北方ジャーナル事件」の始まりでした。
 ──あの事件には布石があって、本誌は前年から関連記事をいろいろ書いていた。中には「ゴキブリ市長」などという表現を用いた記事(1978年11月号=旭川ゴキブリ市長征伐論)もあり、この記事では編集人などが名誉棄損・侮辱罪で告訴されるという出来事も起きていました。
 上田
 当時の北方ジャーナルの報道の流れは詳細には把握していませんが、回を重ねるごとに表現がエスカレートしていったことは確か。何しろ「ゴキブリ」ですから(笑)。問題の79年4月号の記事「ある権力者の誘惑」についても以前から予告していたと記憶しています。

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