(のぐち・ひでお)1948年3月19日登別市出身。早稲田大学商学部卒業後、71年登別プリンスホテル入社。87年社名を野口観光に改称。90年副社長、99年社長に就任。2022年6月から会長職。03年に野口観光マネジメント、09年に野口リゾートマネジメントを設立。野口観光グループのトップとして現在に至る。74歳
──1990年代の後半、弊誌は当時の野口観光のサービスや企業経営のあり方について厳しい批判を展開しました。担当者は私です。ただ振り返れば、取材が本当に十分だったか、御社が北海道観光に果たしていた役割を十分理解していたかなど、思い至らない点もあったように思います。当時、どんな思いで報道をご覧になっておられましたか。
野口 僕にとっても忘れられない出来事でした。朝、新聞を取りにいき1面に北方ジャーナルの広告が載っていないと、ひと安心したものです(笑)。当時、私は副社長の立場でしたが、役員や幹部というより親子の関係で一連の報道に接していたように思います。「こういうことで父親が責められている。辛いだろうな」と。
あの時は、確か苫小牧プリンスホテルの下水道料金のことが発端でしたが、書かれた側として「そんな風に(悪く)解釈するんだ」という思いもありました。
ただ記事の内容が正しいか正しくないかは別にして、思ったのは昔の創業者というのは、その多くが“塀の上”を歩いていたのかもしれないということ。いまでいうコンプライアンスという概念が薄かった時代。下手をすれば“塀の内側”に落ちかねない危ういことがなかったとは言えないでしょう。ある時期が来たら塀の外側に降りて(※引退などの意味)、ちゃんとした道を歩いていく。その方が会社としてもいいのではと。
──当時の社長(故人・野口秀次氏)は、一連の報道について何か仰ってましたか。
野口 いや、そういった話はあまりしませんでした。というのも当時は新聞などにも追いかけられ、彼らの酷い取材で父が怒ったこともありましたし、