追悼 宮谷内亮一・千島連盟根室支部長ラストインタビュー
我々には一刻の猶予もない ビザなし交流の全面復活を

2022年04月号

本誌がインタビューを始めた当時の宮谷内亮一さん(2014年12月25日。根室市内の千島会館で)

北方領土の元島民らで組織する千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)根室支部長の宮谷内亮一さんが2月5日、急性心不全のため根室市内の病院で死去した。79歳だった。根室市職員を退職後、千島会館館長を経て2007年5月から千島連盟理事、11年4月から同連盟根室支部長を務めていた。本誌は例年2月号の根室・北方領土特集で元島民への聞き書きを掲載。宮谷内さんには14年からお世話になり、これまで毎年本人への取材を重ねてきた。昨年12月にも通算8回目のインタビューを行ない、その要約を本年2月号に掲載したばかりの訃報だった。本稿では、宮谷内さんへの追悼の思いを込め、最後となった先のインタビューの全体をあらためて読者に紹介したい。
(工藤年泰・佐久間康介)

深夜、船底で息を潜めて国後島から決死の脱出


 ──あらためて出身地を聞かせてください。
 宮谷内
 私は、昭和18年1月8日、国後島の爺爺岳(ちゃちゃだけ)の麓、留夜別村で生まれました。祖父と父、叔父たちと暮らす9人家族でした。祖父は石川県能登半島にある穴水の出身。貧しかったので一攫千金を狙って国後島に渡ってきたそうです。祖父、父、叔父はサケ、マスの定置網漁をしていて、その合間をぬってコンブ漁もしていました。国後島周辺は魚がよく獲れたので、多い時には20人くらい雇って漁を営み、家は比較的裕福でした。祖父は地元漁業会の代表もしていました。
 ──そんな暮らしの中で昭和20年8月15日の終戦を迎えた。ソ連兵はいつ頃やってきたのですか。
 宮谷内
 終戦後の8月28日、ソ連軍が択捉島に上陸して9月1日には国後島の沖合にソ連の軍艦がやって来ました。当時、国後島には約7600人の島民が住んでおり、北方領土の中で人口が一番多い島でした。そこにソ連軍の精鋭部隊が上陸してきたのです。

宮谷内さんら元島民が奥尻島を訪問したことを伝える根室新聞(2016年7月25日付)

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国後島留夜別村の乳呑路(ちのみのち)港から修学旅行に出発する生徒たち(千島会館のパネルより)

納沙布岬から望む国後島の山影

生まれ故郷の国後島留夜別村を指さす宮谷内さん(2021年12月20日、千島会館で)

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