今回の衆院選で有権者は一票の重みを誰に託すのか
自民に逆風も首相退陣で混沌は必至
当初の観測と異なり11月にずれ込みそうな雲行きの衆院総選挙。ここにきて菅義偉総理が自民党総裁選への不出馬を決め、与党自民党は次の選挙の顔となるトップ選びの権力闘争に熱を入れ始めた。だが、その勝敗に決着がついて総選挙まで国民はコロナ禍中で政治空白を強いられることとなる。こんな状況だからこそ、一人ひとりの1票の意思表示が重要になるが、そもそも今の政治情勢をどう見れば良いのか。「そんな時こそ歴史から学ぶべき」。この言葉を皮切りに口を開いたのが、匿名を条件とするベテラン政治ウォッチャー。道内のこれまでの政治事情に詳しい本人の語りに耳を傾けてみた。(髙橋貴充)
そもそも北海道は農林水産業が基幹産業ですから、保守の地盤だったんです。ですが1947年に行なわれた初の北海道知事(当時は北海道庁長官)公選の折、いわゆる保守票は複数の候補者が出たことで割れ、結果として日本社会党が推した道庁職員の田中敏文が当選します。
戦後、公選による北海道知事の道政は、社会党の知事から始まったわけです。田中道政は3期続き、その間革新勢力は強くなっていった。一方、保守陣営は最初の選挙の内輪揉めで組織力を弱体させてしまう。そういった図式で戦後の道政は始まりました。
ところがその後、1959年に警視総監なども務めた自民党衆議の町村金五が知事に当選し、以後3期を担います。一方国政では、1963年の衆院総選挙で旧道1区から地崎宇三郎、旧道5区から中川一郎といった自民党の後の大物代議士たちが次々当選を果たし、北海道の保守勢力は盛り返していくんです。町村道政の後も後継の堂垣内尚弘が当選し、さらに3期保守道政が続くことになりました。
先に触れた道内選出の有力代議士らは、それぞれの地元で強い地盤作りに力を入れました。しかしながら、彼らが表舞台から姿を消して以降、時を経ると共に影響力が薄らいでいく。加えて内輪揉めや後継者の不在なども影響して、道内各地の自民党組織は総じてガタガタになっていったんです。