北大総長解任処分取消・損害賠償訴訟の第2回口頭弁論後の会見でマイクを握る名和豊春氏(2021年6月14日午後、札幌弁護士会館)
人への評価は、短期間のうちにこれほど変わるものなのか。名和豊春前北大総長の解任取消・損害賠償請求訴訟に関わる調査報告書のヒアリング記録に含まれる、ある人物の申告書の内容のことだ。そこには名和氏への人物評価の変遷が赤裸々に綴られている。この申告書を作成したのは、2016年の総長選に同氏を担ぎ出し「名和総長誕生」を実現させた立役者、同総長の下で理事・副学長を務めた長谷川晃氏(現北大名誉教授)、その人だ。本誌が入手したのは、名和氏の訴訟関係で北大側がこのほど不開示処分を一部取り消したことにより開示された資料の一部である。(佐久間 康介)
長谷川氏の申告書は、名和氏を総長に担ぎ出すところから始まる。
《私たちは、共に北大教育研究評議会において、執行部(当時は山口佳三総長)の高圧的な態度と戦うことになった。その過程で、奇しくも2016年11月から12月にかけて総長選挙が行われ、名和氏が前総長に対抗して出馬することになったので、私は推薦人代表となって選挙運動に協力し、そして勝利した。当時の名和氏は真摯に大学の行く末を案ずる人物と見え、名和氏の勝利を素直に喜び、共に北大を発展させるつもりで17年4月から理事・副学長を引き受けた》
この1年ほど前、長谷川氏は法学研究科長、名和氏は工学研究院長だった。長谷川氏は文系代表、名和氏は理系代表のような存在だったという。言わば二人三脚で総長選を戦った同志とも言える仲だった。
しかし、先の名和氏へ評価は1年を経たずして激変する。《私が、名和氏のハラスメントについて知ることになったのは、数人の事務方が私に訴えてきた18年2月である。それまで、名和氏の人間性を基本的には信じて疑わなかったので、ハラスメントの話が俄かには信じ難かった。しかし、その後、自分で情報を集めるにつれ、悪しき現状が分かった。ただ、窮状を訴えた事務方は、名和氏の性格上、犯人捜しと仕返しをされると怖れ、匿名を強く希望した。(中略)3月に一度、私は名和氏に、職員への接し方に関して役員会における謝罪を求め、名和氏は役員会で、総長として反省の弁を述べたことがあった。私はそれで事態が正しい方向に進めばと期待していた》
申告書によれば18年4月から状況は一時改善したが、GW以降はまたハラスメントがひどくなっていったという。
《名和氏は一面では人当たりもよく、特に初対面の人には人気がある。しかし、半面では激しいハラスメントがあるという。直接に見聞きしたことが全くなかった私は、この状態をどう理解していいか悩んだ。8月28日に私は、斎藤隆広弁護士(北大顧問弁護士)から同様の話を聞く機会があり、ハラスメント以外にもさらに多くの非違行為があることを知った。私は憂慮に絶えず、笠原(正典)、西井(準治)両理事にもこの状況を伝え、三理事で緊急に対応を考えることになった》
《9月半ばまでの協議を承けて、私は三理事を代理して総長選考会議の石山喬議長(日軽金ホールディングス元会長)、横山清副議長(アークス社長)に出向き、二人に総長の非違行為の話を伝え、皆で相談することになった。斎藤弁護士、両会長、三理事が協議した結果、9月29日に両会長が弁護士を帯同して、非違行為の訴えが山積しており、大きな問題になる前に総長に身を引くことを勧告することになった》
この時、長谷川氏は全学のハラスメント対策室長でもあった。同氏は名和氏の被害者にハラスメント相談、対策のルールの下で訴える道があることを示したというが、被害者らは匿名を強く希望していたため、学内規定に基づいた相談や報告の手続きをしなかったとする。しかし、これではハラスメント対策室とは一体何かということになる。
そのうえ、身を引くよう勧告するまでが短絡的にすぎるきらいもある。なぜ、長谷川氏ら3人の理事は、いきなり石山議長らに辞職勧告してもらう結論に至ったのか。
その理由については、長谷川氏はこう記している。