ルポ「ひきこもり」63 ひきこもりは恥ですか?「ぼそっと池井多」さんの講演から【1】
これは家族の病気です

2020年12月号

フェイスシールドをつけ登壇した池井多さん。講演会では親や支援者が耳を傾けた(北海道立活動センター「かでる2・7」)

精神的虐待から「ガチこもり」へ
 
「ひ老会(ひきこもりと老いを考える会)」や「ひきこもり親子公開対論」などのイベントを通して当事者の声を社会に発信する、ぼそっと池井多さん(58)。その講演会「長期化するひきこもり家庭のコミュニケーション不全」が10月17日、札幌市内で開かれた。教育熱心な母から精神的虐待を受けて難関大学に進学。就職が内定していた大手企業への入社を前に外へ出られなくなった。以来、30年以上断続的にひきこもり、家族とは20年来音信普通という池井多さんは、「多くの人がひきこもりに関してオープンに論議できるようになれば、ひきこもりは恥でなくなる」と問いかける。講演会と質疑応答の模様を2回シリーズで紹介する。(武智敦子)
 

死んでやるからね

 
「お母さまの言うことを聞かないと死んでやるからね」
 池井多さんは幼い頃から母からこう脅されて育った。いわゆる、精神的虐待だ。母は4年制の有名女子大を卒業したインテリ。子供の教育にはすこぶる熱心で、高卒の父は妻の言いなりだった。
「死んでやるから」という言葉は子供にとって強烈なパンチだ。虐待されている自覚はなく、反抗期がなかったこともあり黙って従った。「幼い時からひきこもりになる時限爆弾を埋め込まれた」と振り返る。
 気位が高くナルシスティックな母は、エリートの息子を育てたと自慢したかったのだろう。母の望みに応えるように難関大学に進学し、就職は人気企業ランキング1位の一流企業から内定を得たが、「それは成功体験ではなく失敗体験だった」。入社前の事前研修に行こうにも体が動かず、部屋から出ることができなくなったのは23歳の時。
 当時、ひきこもりという言葉はなく、自分に何が起きているのか分からなかった。弁の立つ母と論戦する力もなかった。親との対話を避け、海外へ逃げる「外こもり」を10年ほど続けた。
 帰国後働こうとしたが、再びひきこもりが始まった。体が動かない。どうしていつもこうなのか。普通の人のように働けないのか。いったい、何にひっかかっているのか分からなかったが、どこか、そこに触れられるのが嫌だというタブーがあるような気がした。
 

穏やかで分かりやすい語り口は学者の佇まいだ

講演会終了後は池井多さんを囲む交流会も開かれた

江差パワハラ死 道「因果関係」否定
謝罪と賠償は別

道警不祥事 窃盗事件未発表
盗撮の巡査には余罪も

戦時下のウクライナを歩いた元朝日新聞記者が札幌で報告会

札幌東徳洲会の新院長に就任
山崎医師に訊く
ソフトとハードを再構築
「断らない救急医療」を目指す

「お母さま発言」を説明するパネル

会場には大阪のひきこもり外交官、さえきたいちさんの姿も(右側)

「お母さま発言」を説明するパネル

穏やかで分かりやすい語り口は学者の佇まいだ

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