頭取交代を目前に握手を交わす石井氏(左)と安田氏(3月30日、北洋大通センター)
■北洋銀・安田新頭取が船出
昨年8月、創業100周年を迎え新しい世紀を刻み始めた北洋銀行(本店・札幌市)。そのまさに第一期目となる新年度が始まった4月1日に、新頭取に就任したのが安田光春氏(58)だ。4人の常務の末席からの抜擢は、サプライズを引き起こすと同時に、同行が役職の序列ではなく人物本位の人事を行なうことを内外に強くアナウンスすることになった。銀行経営はマイナス金利やITの進化で過去の経験則が通用しない変化の時代に突入している。北洋銀の新世紀を安田新頭取はどう創ろうとしているのか──。
北洋銀行は、旧北洋無尽を経て戦後の旧北洋相互銀行の時代から代々、日本銀行出身者が社長、頭取を務めてきた。
1998年11月の旧北海道拓殖銀行の道内営業承継を経て2000年6月、武井正直氏(故人)から高向巌氏がバトンを受けて頭取に就任。その6年後、12年6月に横内龍三氏(当時副頭取)がその座に就いた。横内氏も6年後の2012年、石井純二氏(当時副頭取)に頭取を譲った。
石井氏は旧拓銀出身。この段階で4代続いた日銀出身トップは終わりを告げた。
近年、6年刻みで交代してきた頭取ポストだが、今回、石井氏もこれを踏襲。これによって「北洋銀頭取の在任期間は6年間」が定着したと言える。その石井氏の後継をめぐっては、早くからさまざまな名前が取り沙汰された。旧北洋出身の柴田龍副頭取や旧拓銀出身の藤井文世常務、近江秀彦取締役本店営業部本店長。直近で言えば、同じく旧拓銀出身の長野実常務が最も頭取ポストに近いとされた(肩書は名前が取り沙汰された当時のもの)。
とりわけ有力視されていた長野氏については、証券業界関係者も「10人中7、8人が、次期頭取は長野常務だと思っていた」というように、旧拓銀のOBを含めて同氏でほぼ衆目は一致していた。
こうした大方の見方を覆して、石井氏が指名したのは旧北洋出身の安田常務だった。安田氏は支店長経験が少なく、唯一とも言えるのが2005年4月から2年間務めた宮の沢支店長。その後、賞味期限改竄問題で揺れた石屋製菓に出向、同じく北洋銀から送り込まれた島田俊平社長とともに立て直しに尽力したことで知られる。
石井氏は、安田氏に後継を託したことについて本誌にこう話す。
「何よりも行内の求心力がある。石屋製菓再建では異色の経験をするなど、多彩な経験を積んできた。これから銀行を取り巻く環境は大きく変化する。そういう局面に際して具体的にしっかりとした決断ができる人だ。そうしたことが後継を託すことになった理由だ」
行内外の安田評を集めてみると、人物の輪郭が見えてくる。
「彼はとてもフランク。行内の研修講師などを務めても、受講する職員の掴みはうまいし、笑わせる場面では笑いを取る。しかし、仕事には厳しい。オンとオフがきっちりと切り替えられる人。時代を先取りして物事を決めていくことが要求される時代には、適任ではないか」(北洋銀同僚)
「とにかく人望が厚い。旧北洋出身者からも旧拓銀出身者からも人望を集めている。おまけに新琴似小学校→新琴似中学校→札幌北高という経歴は石井氏と同窓という縁もある。北洋銀は3行の寄り合い所帯と言われたが、それも20年経って今や昔の話。出自を基準にする行風がなくなった今、頭取にはベストの人だ」(証券業界関係者)
では、安田新頭取に登場してもらおう。安田氏は、後継指名を受けた時の気持ちを率直にこう語る。
「新中期経営計画『共創』が始まって1年目なので、この時期の指名は意外でした。逆風の経営環境での交代には躊躇もありました。しかも、会長に就く石井頭取は代表権を持たないということでした。私としては『是非代表権を持っていただきたい』とお願いしたのですが、『刷新』を理由に固辞されました。そういう意味では、まさに二重の驚きでした」
ともあれ、北洋銀は“新世紀”に向けて第一歩を踏み出した。今後、安田体制はどんな舵取りで荒波を乗り越えていくのか。この問いに、
「道内は人口減少と事業所数の減少に直面しています。起業支援に一層力を入れるとともに既存中小企業の事業価値、企業価値を高めることが必要。行内でディスカッションして新たな形を打ち出したい」と、新頭取は口元を引き締める。
人材登用についても、年功序列ではなく実力本位にするという。若くて力のある人材を引き上げ、年齢が相応でも力が伴えば重要ポストを継続させる考えだ。5月中旬には安田新頭取初の役員人事が行なわれる。どんな布陣になるのか周囲は興味津々。外野席からは「1、2階級特進のサプライズあり」の下馬評が聞こえている。