旭川の森山病院で本格稼働を始めた「予防医学・スポーツ医学センター」
病気にならず生き生きと人生を送るための拠点へ
札幌に家族を残し旭川に赴任して26年だが「単身赴任生活にもすっかり慣れた」と語る松野センター長
(まつの・たけお)1947年北見で生まれ札幌で育つ。札幌南校から北大医学部に進学。卒業後は同大第2病理に在籍し3年間米国に留学。帰国後の78年に北大整形外科学講座に入局し、骨・軟部腫瘍と股関節病変の診断・治療に従事。97年旭川医科大学整形外科学講座教授。2007年から15年まで理事、副学長、病院長を歴任。21年6月から学長職務代理、代行を務め22年3月末に退官。同年5月に森山病院の予防医学・スポーツ医学センター長に就任。社会医療法人元生会副理事長。76歳
Medical Report
旭川の社会医療法人元生会(森山領理事長)が運営する森山病院(232床)の「予防医学・スポーツ医学センター」が本格的に動き出している。旭川医科大学病院長や学長職務代理を務め昨年3月末に退官した元整形外科学講座教授の松野丈夫医師(76)が森山理事長の招聘に応じ、同医学センターのトップに就任。「病気にならない、病気にさせない」拠点を目指して成果を上げつつある。大学在籍当時から森山病院が目指す「健康・医療・福祉」三位一体の医療構想に共鳴していたという松野センター長を訪ね、「予防医学・スポーツ医学センター」の役割と今後について訊いた。
(7月19日取材 工藤年泰・武智敦子)
住民を対象に栄養や食事の大切さについて話す松野センター長
病院周辺でのウォーキングも実施
「病気にさせない」医療を目指す森山理事長
森山病院との不思議な縁
「ウェルネス」とは米国のハルバート・ダン医師が1961年に提唱した「より生き生きと人生を送る」という概念だが、森山病院(稲葉雅史院長)の創始者である故・森山元一前理事長は、この10年ほど前の1952年の開院当初から「健康・医療・福祉」が三位一体となった総合的医療構想を掲げ、「病気にさせない」病院運営を目指してきた。
その元一氏の構想が息子である森山領理事長のもとで大きく花開いたのは2020年11月。森山病院が旭川中心部の北彩都地区における大規模開発プロジェクト「旭川ウェルネスセンター」の中核施設として新築移転し、そこに開設されたのが今回紹介する「予防医学・スポーツ医学センター」だ。
昨年春にはメディカルフィットネス「Sanitas24」、食による健康づくりを支援するヘルスケアダイニング「Repas Sanitas」もオープン。同センターはこの2つの施設と連携しながら「病気にならない、させない医療」の実現を目指している。
その予防医学・スポーツ医学センター長に昨年5月、就任したのが旭川医科大学整形外科学講座前教授で、旭川医科大学病院長をはじめ副学長や学長職務代理、代行を務めて昨春退官した松野丈夫医師だ。
この松野センター長は、元北大医学部整形外科教授の故・松野誠夫医師の子息で、3、4歳の頃に札幌の自宅を訪ねてきた元一医師を記憶している。
当時、父の誠夫医師は発足したばかりの北大医学部整形外科学講座に所属しており、元一医師も講座の同僚だった。元一医師が帰宅してから「今の先生は旭川の森山先生だよ」と父が話していたことをおぼろげながら今でも覚えているという。
森山領理事長とは旭川医科大学時代から親交があり、現在の立場の心境をこう話す。
「森山理事長は元一先生が標榜した『健康・医療・福祉』の精神を受け継ぎ、その完成形として『旭川ウェルネスセンター』をつくりました。こうした森山病院の方向性に私は深く共感しており、森山理事長がよく言われる『病気にさせない医療』のためにもセンターの機能を強化していきたい」
予防医学・スポーツセンターは具体的にどのような活動をしているのか。一般的に、予防医学は適切な食事や運動を通してQOLを維持する、スポーツ医学はアスリートのケア、健康維持といったイメージだが、この点について松野センター長は次のように説明する。
「予防医学は子どもから高齢者までを対象に、食事や運動を通じて病気を防いでいくのが基本的なコンセプト。スポーツ医学はプロのアスリートから高校野球、スポーツ少年団などのアマチュア選手がケガをした時の治療をはじめ、ケガを防ぐためのトレーニングや指導を行ないます。
理解があまり進んでいない障害者スポーツも領域に入れており、障害者がスポーツをしやすい環境をつくることにも取り組んでいきたい」
健康を維持するためにどのような栄養を摂取すればいいかを指導するのも同センターの役割だ。例えばハンバーガーや炭酸飲料などのファストフードばかり取っている場合は、栄養バランスの崩れが懸念される。中でもリン酸が多く含まれている炭酸飲料を多く取ると、体内で「リン酸カルシウム」になり尿として体外に排出されてしまう。リンが「カルシウム泥棒」と呼ばれる所以である。
松野センター長は旭川医科大学時代に、公認スポーツ栄養士としてシドニー五輪の「侍ジャパン」でも活躍した管理栄養士・海老久美子さんを招き、旭川や札幌で講演会を開いたことがある。
「旭川では北海道整形外科学会主催の特別講演会で、札幌では少年野球チームの子どもたちと保護者を対象にどのような栄養を取ればケガをしにくい体になるのかなどについて指導していただきました。今後は森山病院でもこうした講演会を企画していきたい」(松野センター長)
毎月第3土曜に開いている「花咲くリハビリ体操健康塾」(森山病院8階)
住民を対象に栄養や食事の大切さについて話す松野センター長
毎月第3土曜に開いている「花咲くリハビリ体操健康塾」(森山病院8階)
病院周辺でのウォーキングも実施
「病気にさせない」医療を目指す森山理事長
障害者スポーツもフォロー
松野医師が束ねる予防医学・スポーツ医学センターでは、今年4月から副センター長に障害者スポーツに詳しい同病院の内科医、青島優氏が着任したほか理学療法士5人、管理栄養士2人を配置。月に1度、北海道日本ハムファイターズのチームドクターでもある門間大輔医師(北大病院スポーツ医学診療センター・助教)の協力で「スポーツ外来」も開いている。
そのファイターズでは道内各地でベースボールアカデミーを実施し、子どもたちが野球肘になっていないかを調べる活動を続けている。昨年旭川で実施した時には森山病院の理学療法士も加わり、中学生のボーイズリーグの野球教室でケガをしない体づくりを教えた。今年は高校野球の北北海道大会の公式練習の参加校16チームを対象に、門間医師と理学療法士が投球障害(※投球動作を繰り返すことで肩関節にかかる負担に耐えきれなくなった時に発症)の有無をチェックした。
「投球障害は早期に発見して治療をすれば選手生命が延びるし、大きなケガを防ぐことにもつながります。昔から甲子園で活躍した優勝投手はプロに行くと故障が出ることが多いと言われているように、日本ではいまだに精神論で選手に無理をさせている監督も少なくありません。だからこそ、適切な水分や栄養補給、正しい体の動かし方を学んでほしいと思います。今後はバレーボール女子日本代表チームのチームドクターである旭川医科大学の小原和宏医師ら知遇のある医師や柔道整復師とも協力しながらスポーツ外来を充実させていきたい」(松野センター長)
松野センター長は、日本を代表するパラスポーツ選手との親交が深いことでも知られている。日本の障害者スポーツの第一人者で、東京パラリンピックのトライアスロンに出場した谷真海さんとは古くからの友人。数年前には、悪性腫瘍の骨肉腫で足などを切断し精神面で不安を抱えている子どもたちに、谷さんの講話を通してサポートを行なった。
この他にも、旭川医科大学時代は元巨人軍投手の堀内恒夫さん、サッカーの松本安太郎さん、ロサンゼルス五輪の体操金メダリスト森末慎二さん、相撲の若乃花や舞の海、『五体不満足』の著者、乙武洋匡さんら著名人を招いての講演会を積極的に展開。近年は新型コロナの感染拡大もあり休止していたが、「先ほどの栄養面での指導とあわせてこういった講演会にも取り組み、日本では遅れているとされる障害者スポーツの振興に一役買っていきたい」と抱負を語る。
「予防医学・スポーツ医学センター」では、先述したメディカルフィットネスとヘルスケアダイニングとも連携し、スポーツ選手や障害者スポーツ選手、一般市民の健康づくりに寄与。「病気にならない、させない」取り組みを強化していく。
「患者ファースト」の精神
松野センター長は札幌南校を経て北大医学部に進学。医師を目指したのは、「父の影響が大きかった」と振り返る。同大医学部第2病理に在籍中の3年間、米国に留学したが、特に印象に残っているのが、アメリカ・ミネソタ州にある世界的に有名な総合病院「Mayo Clinic」(メイヨー・クリニック)で「患者ファースト」の精神を学んだことだという。帰国後の1978年に北大整形外科学教室に入局し、骨・軟部腫瘍と股関節病変の診断・治療に従事。以後、97年には旭川医科大学整形外科学講座教授に着任し、理学療法士、管理栄養士、整形外科や産婦人科、眼科の医師らで組織するスポーツ医学委員会の委員長を務め、地域スポーツへの医師派遣やケガの治療、中高生の野球チームの栄養指導を10年近く行なってきた。
「40年ほど前のことになりますが、私が北大整形に入った当時は、足の悪性腫瘍は9割方が切断でした。それが、25年ほど前からは腫瘍だけを切除し足は残す『患肢温存手術』が主流になりました。
足が残るのは患者さんにとっていい面もありますが、実は障害者スポーツの面から見れば、神経が切断されて走ることができないなど、言い方は悪いですが、使い物にならないことが多いのです。2006年に開催された日本整形外科学会に骨肉腫で足を切断した人が4人ほどシンポジストとして参加しました。彼らに『難しい質問ですが、足が残っていた方が良かったでしょうか』と聞くと、全員が『むしろ切断して良かった』と回答されました。今は義肢義足の機能が良くなり、足を切断しても動きやすいし運動もできるというのです。この時をきっかけに、障害者スポーツの啓蒙や普及に取り組むようになりました」と振り返る。
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