患者のQOLを徹底的に見据えた安心・安全の人工膝関節置換術
北海道整形外科記念病院に見る変形性膝関節症の最新治療とは
患者の術中・術後のリスク低減に尽力している鈴木副理事長
(すずき・こうじ)1959年釧路市出身。83年北海道大学医学部卒業、同大整形外科教室入局。92年米国留学を経て2000年北海道整形外科記念病院診療部長就任。15年同院副院長、20年から副理事長。医学博士。北海道大学大学院医学研究科客員准教授。日本整形外科学会認定整形外科専門医。日本体育協会公認スポーツドクター
Medical Report
国内有数の整形外科専門病院、北海道整形外科記念病院(札幌市豊平区・加藤貞利理事長)が豊富な臨床経験と高い技術により変形性膝関節症の人工膝関節置換術で実績を上げている。高齢者やリウマチ患者が多いことを踏まえナビゲーションシステムにより手術の精度向上を図り、合併症の予防や術後の経過観察まで患者のQOLを見据えた安全・安心な治療が、その特徴だ。同病院副理事長で人工膝関節置換術が専門の鈴木孝治医師(62)は「膝の痛みで歩けなくなると体力が低下し、さまざまな疾患のリスクが高くなる。健康寿命を延ばすためにも違和感を覚えたら早めに相談してほしい」と呼びかけている。(2月18日取材)
人工膝関節のエキスパートが万全を期している感染症対策
膝は立つ、歩く、座るなどの動作による体の重みを支えている。その負荷が長年続くことなどにより関節内の軟骨や骨が変形し、痛みとなって現れるのが変形性膝関節症だ。膝が痛くなると体を動かすのも億劫になり、ロコモティブシンドローム(運動器症候群)の原因にもなる。
変形性膝関節症は加齢や肥満、運動不足による一次性と、スポーツなどによる半月板や靭帯の損傷、関節リウマチによる炎症で変形が進行する二次性がある。患者の多くは一次性によるもので、初期の段階では歩き始めや階段の昇降などで痛みを感じるが少し休むとおさまる。だが、進行すると正座や階段の昇降が困難になり日常生活が制限される。
今回のテーマである人工膝関節置換術は摩耗して傷んだ関節を人工関節に置き換える手術療法で、変形性膝関節症や関節リウマチ、骨の壊死などで膝に重度の変形があり、日常生活に支障がある場合に行なわれる。
北海道整形外科記念病院の鈴木孝治副理事長によると、患者の8割は女性で多くが50代から膝の痛みを訴え始めるが、実際に人工膝関節置換術を行なうのは60代以降が多いという。同病院では、年間二百数十例の人工膝関節置換術を鈴木医師ほか4人の専門医が担当。鈴木医師はこの20年で2500例以上を手掛けるエキスパートである。
まず特筆すべきは、同病院の設立に尽力した著名な整形外科医である故・松野誠夫北大名誉教授の指導に基づいた施術を行なっている点だ。「松野先生からは膝を伸ばした時と曲げた時にぴったり一致する技術を教わりました。人工膝関節置換術は骨を削ってから人工関節を入れますが、実際にどう切るかは画像だけではなく人工関節を支える靭帯のバランスで決めることを重視しています。変形性膝関節症の手術は、膝を伸ばす時にぴったり切っても曲げた時のバランスが悪いとぐらついたり、曲がりが悪くなる。私たちは一例ずつ独自のデジタルバランサーを用いてバランスを確かめながら手術をし、良好な安定性と可動域を得ています」(鈴木医師・以下同)
手術に当たってはナビゲーションシステムも導入。これは先進医療のコンピュータ支援手術システムで、赤外線で治療する部位と手術器具の位置関係を正確に計測し、リアルタイムで画像上に表示する。デジタルバランサーとともに人工関節が正確に挿入されているか、人工関節を支える靭帯のバランスが適切であるかを解析し、調整を行なうことで術後のスムーズな動きにつなげる。
また手術のうえで特に力を入れているのは安全性を担保するための徹底した感染症対策だ。人工関節は人体にとって異物なので細菌感染を起こしやすい。このため、人工膝関節置換術はバイオクリーンルームという空気中の浮遊微生物(微粒子)を制御・管理した手術室で行なっている。5室ある手術室のうち3室をバイオクリーンルームにしており、感染を引き起こす症例はほとんどない。
手術前に体内にやっかいな細菌が存在すると術後に膝に飛び火することがある。同病院では鼻腔内と関節の細菌がほぼ一致することに着目し、術前に鼻腔内の細菌検査を実施。細菌が認められた場合は、除菌を施してから手術を行なうなどの安全対策にも取り組んでいる。
術後の合併症をめぐっては、患者の20~50%に深部血栓症が発生すると報告されている。同院では10年以上前からリスクマネジメントとして血液データから血栓の有無を調べている。血栓の疑いがあれば連携する札幌の時計台記念病院(中央区)の血管専門医がCTやエコーで検査を行ない、ここで血栓が認められたら早期治療につなげている。「当病院では関節リウマチなど重度の症例が多く、こうした患者は血栓などの合併症を生じやすい。この対応により血栓があるかどうかが分かり、血栓があった場合は事前に薬を投与するため、術後の肺梗塞発生はゼロと好成績を上げています」
バイオクリーンルームでの手術風景
素材の進化が著しい人工膝関節
手術の成否のうえで重要となる下肢機能軸
加藤貞利理事長
バイオクリーンルームでの手術風景
素材の進化が著しい人工膝関節
手術の成否のうえで重要となる下肢機能軸
加藤貞利理事長
重要な院内でのリハビリ期間「人工関節の日」で予後もケア
手術は前出のナビゲーションシステム、デジタルバランサーを駆使して行なうが、基本となるのは臨床経験に培われた高い技術だ。鈴木医師は術後の感染症リスクを減らすため、手術時の止血にも力を入れている。感染症が起こるのは術中、術後の出血が原因である場合があり、術中は関節に止血剤を入れて出血を予防している。
「止血を徹底的に行なうのは血液が細菌の栄養になるからです。関節の変形がひどくない場合は40~50分で手術を終える医療機関もありますが、私は全ての症例で止血に10分ほどかけるので手術時間はトータルで1時間45分ほど。時間の長短より安全性を確保することを優先しています」
人工膝関節置換術にとって「ゆるみ」は避けて通ることのできない問題だ。同病院は股関節の中心と足首の中心を結ぶ下肢機能軸が直線に通るよう施術することで、人工膝関節にかかる負担の軽減を図っている。
「下肢機能軸が直線であると体重のかかり方が無理のない状態になるが、これが膝の中心からずれると人工関節に過度な力が加わり、将来的にゆるむ可能性が高くなります。ゆるみのない人工膝関節にするには、適切な下肢機能軸にすることが必要です」
このポイントについて同病院では下肢の全体写真で術前、術後に評価。術後の症例評価ではほぼ全ての症例で下肢機能軸が膝の中心を通過していることが確認されている。リハビリは術後3日目から始め、膝の曲がりが良くなり歩行も安定する3~4週間を目安に続ける。
「膝を曲げられるようになるのは術後3~4週間目がピークなので経過観察を兼ねています。米国では退院後にリハビリをする施設がたくさんあるが、日本は自宅で頑張るしかないので膝の曲がりが悪くなることもある。せっかく手術をしても膝が曲がらなくなるのは不本意。しっかりリハビリをやっていただくため、退院は術後約4週間が目安です」
人工膝の素材はコバルトクロム合金、チタン合金のほかにポリエチレンを使用。ポリエチレン素材は摩耗しやすいという弱点があったが、近年は分子結合が強固で摩耗に強い素材も出ており性能は格段にアップしている。
「人工膝関節置換術が始まり50年ほど経っていますが、昔は大学病院の症例も1週間に2、3例程度で素材や手技についても課題があった。当時と比べると素材を見ても隔世の感がありソフト、ハードとも進化が蓄積されてきたと思います。低侵襲化に向けて、切開の部位をなるべく小さくしたり筋肉を温存する方法も取られてきましたが、この手術で何より大事なのは適切な切開と人工関節の調整にあります」
同病院では毎週水曜日の午後を「人工膝関節の日」として人工膝関節置換術を受けた患者の経過観察を行なっている。専用外来を設けたのは術後のわずかな不調を早期に発見するのが狙いで、レントゲン撮影により膝関節の動きやバランスをチェックする。患者の中には手術直後にはスムーズな動作ができなかったが、体をよく動かしていたため時間と共に筋力が付き改善したケースもある。「私は手術をした患者さんに正座はさせませんが、しゃがむという動作を訓練すれば転んだ時に屈伸ができるため骨が折れることはないと考えています。このため、人工膝関節の日には患者さんに高さ30センチ、25センチ、20センチの低い椅子に座ってもらい、どれが座りやすいかを調べています」と独自の研究にも取り組む。
道内で頼りにされる専門病院。いつまでも自分で動ける体を
北海道整形外科記念病院は1978年、現在地の豊平区にオープン。2010年に全面改装し病床数は225床。医師や看護師、リハビリスタッフなど約300人の職員が従事している。診療は上肢・下肢・脊椎・股関節の4分野の他にリウマチ・スポーツ外傷・骨粗鬆症の疾患別に対応し、道内各地から患者を受け入れている。
前述の松野医師は95年から亡くなる2014年まで理事長を務め、その後任に大学時代の教え子だった加藤貞利医師が就任。現在、病院の舵取りを担っている。18年4月には患者の利便性向上を図るため、サテライトとしてJRタワーオフィスプラザさっぽろ(中央区)に「JRタワークリニック」もオープンした。
人工膝関節置換術など下肢分野を担当する鈴木医師は釧路市出身。子供の頃に可愛がっていた鳩が死んだことをきっかけに獣医になろうと決意したが、中学の担任に「動物より人間を治す医者になったら」とアドバイスされ進路を医者に定めた。
北大医学部入学後はアイスホッケーを始め、スポーツ医学への関心やアイスホッケーの先輩が整形外科に進んだことなどから同科を専攻した。趣味のアイスホッケーは現在も続けており、日本体育協会公認スポーツドクターとしてアイスホッケー男子日本代表チームなどのチームドクターも務める。その鈴木医師に患者へのメッセージをうかがった。「変形性膝関節症などの下肢疾患で歩けなくなると体力が低下し、さまざまな疾患のリスクが高まります。米国では、60代はいまや昔の40代と言われます。いつまでも若く患者さんが自分で動ける体を維持し、健康な暮らしを守っていくのが私たちの仕事。膝に関する心配ごとがあったら、まずは相談してほしい」
目次へ
© 2018 Re Studio All rights reserved.