岩見沢発・地域再生Report
閉校した中学校を舞台に
響き合う「地域とアート」

2026年11月号

MAYA MAXXの作品を解説するギャラリートーク。旧美流渡中学校交流館のオープンを記念して実施された(2026年4月)

岩見沢市旧美流渡中学校交流館


今から7年前に廃校となった岩見沢市栗沢町の旧美流渡中学校が今年4月、「岩見沢市旧美流渡中学校交流館」として生まれ変わり、注目を集めている。近年、付近の美流渡地区を拠点に創作活動を続け、昨年1月に亡くなった画家のMAYA МAXX(マヤ・マックス)さんの絵画や書などを常設展示しているほか、内外のクリエイターによる多彩な作品を公開。地域のつくり手の作品展示や販売、定期的にワークショップを実施するなど、表現と交流の場としての存在感を高めている。元中学校を舞台に住民とアートが行き来し響き合う、岩見沢発の地域再生への取り組みとは──。  (9月12日取材 工藤年泰・武智敦子)

決断した廃校校舎の利活用


 岩見沢市の美流渡地区(旧栗沢町)はかつての旧産炭地で、1969年の美流渡炭鉱閉山以後は過疎化が進んでいたが、1980年代に陶芸家の故・塚本竜玄氏が窯を開いてから、各方面のつくり手が移り住むようになった土地柄。そんな地域で今年4月18日にオープンしたのが岩見沢市旧美流渡中学校交流館だ。
 同交流館の前身は2019年に閉校した旧美流渡中学校。当時、地元から校舎の利活用を求める声が強くあがったことを受けた岩見沢市では、旧校舎を芸術活動などの拠点として活用することを模索。岩見沢市の山あいの東部丘陵エリアから地域の魅力を発信する「みる・とーぶプロジェクト」に白羽の矢を立て、21年度から23年度まで試験利用を委託したことが「交流館」誕生の後押しになった。
 市教委生涯教育課長の高居眞司さんは「試験利用3年間の実績を踏まえた上で旧校舎の改修工事を行ない、今春、芸術・文化・スポーツの活動を通して地域の活性化を図る『旧美流渡中学校交流館』としてオープンすることができた」と話す。
 同プロジェクト代表の來嶋(くるしま)路子さんは、東京の「美術出版社」で『みづゑ』の編集長や『美術手帖』副編集長を務めていたが、東日本大震災を機に岩見沢へ移住し2015年に独立した経歴。移住後、美流渡に近い宮村地区に8haの山を購入したのをきっかけに、独自の本づくりを開始。18年に美流渡で編集工房「森の出版社ミチクル」を立ち上げた。そんな來嶋さんが16年から始めたのが「みる・とーぶプロジェクト」。旧栗沢町の東部丘陵地区のクリエイターの作品展示を札幌などで行ない、このエリアの魅力を広く知ってもらう狙いの活動だった。
 そうした中、美流渡では過疎化の波で美流渡中学校が19年に閉校。当時小学2年生だった來嶋さんの息子が通っていた美流渡小学校も同時に廃校となった。「人生で一番悲しかったのは小学校が閉校したこと」。こう言う息子の言葉が親として切なかった。閉校は仕方がないが、校舎の活用を考えるべきではないか。來嶋さんの「みる・とーぶプロジェクト」は、小中学校が閉校した19年から勉強会やトークイベントを開くなどして校舎活用の道を模索していた。

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岩見沢市教委の高居課長と「みる・とーぶプロジェクト」の來嶋代表(右)

10月31日まで開催中のMAYA МAXXさん企画展「北海道で描いた動物たち ふるえるいのち」

マヤさんの最後の大作となった「林の中の象のように」。本人は可愛いモチーフを描く作家と思われがちだが孤独など内面を見つめた作品もあった

交流館1階のインフォメーションセンターには市内のレコード愛好家、青山晴次さんが持ち込んだ約千枚のレコードが並ぶ。「Blue Fox Cafe」としてコーヒーも提供。写真は青山さん(左)と來嶋さん

岩見沢市教委の高居課長と「みる・とーぶプロジェクト」の來嶋代表(右)

10月31日まで開催中のMAYA МAXXさん企画展「北海道で描いた動物たち ふるえるいのち」

マヤさんの最後の大作となった「林の中の象のように」。本人は可愛いモチーフを描く作家と思われがちだが孤独など内面を見つめた作品もあった

交流館1階のインフォメーションセンターには市内のレコード愛好家、青山晴次さんが持ち込んだ約千枚のレコードが並ぶ。「Blue Fox Cafe」としてコーヒーも提供。写真は青山さん(左)と來嶋さん

美流渡が引き寄せた画家


 そんな活動を続ける中、2020年の夏、親しかった画家、MAYA МAXX(マヤ マックス)さんが來嶋さんの勧めで東京から美流渡に移り住んだ。マヤさんは愛媛県今治市出身。吉本ばななさんの書籍装丁画などで知られ、絵本作家としての顔も持つ。13年には「第8回手島右卿賞」も受賞している。
 東京を引き払い旧美流渡中学校の近くに自宅兼アトリエを構えたマヤさんは、來嶋さんに「学校にオブジェをつくりたい」と打診。市に掛け合おうと思っていた矢先、市教委も校舎の試験活用を考えていることが分かった。こうして「みる・とーぶプロジェクト」が21年から受託したのが、前述した旧美流渡中学校校舎に関する試験活用。以後、道教育大岩見沢校とも連携し、会場整備やアートイベントなどを続けてきた。
 この間、マヤさんは防犯や雪除けのためにべニア板が打ち付けられた旧中学校と隣り合う旧小学校1階の窓板にペンキで絵を描いた。月日が経ち汚れてくる姿を見て「皆に喜んでもらいたい」という思いからだった。その後も仲間と一緒に旧美流渡中学校のグラウンドや校舎内に立体作品をつくるなど、地域での創作活動に取り組んでいた。
「マヤさんは食品工場の高さ10mの壁に赤いクマを描いたり、近くの寺にも涅槃グマを描いたりしてます。実際にアートが地域にあるとまちが明るくなるし、マヤさんも美流渡での活動に手応えを感じていたと思います」と來嶋さん。
 東部丘陵線コミュニティバスにシカなどをモチーフとした絵を描いたのもマヤさんだった。「みる・とーぶプロジェクト」は21年からマヤさんら地域の個性豊かなつくり手の作品を集めた「みる・とーぶ展」を旧美流渡中学で開催し好評を得た。
 マヤさんの絵が増えるごとに来場者や関わる人が増えたことについて、高居さんは「美流渡は元々クリエイターの多い土地でしたが、そこにマヤさんのような有名な作家が移住した。旧美流渡中学校がこのような形でリスタートできたのは、來嶋さんの団体の活動やマヤさんとの出会いがあったから」と話す。
 來嶋さん自身も美流渡に移住し、雪国に住む人の助け合いの精神を知った。「都会と違って、大変になると周りの人が助けてくれる。ひとりの人間としてすごく嬉しかったし、私自身が助け合いの中に参加できたのも良かった」
 マヤさんは肺がんを患い、25年1月9日に63歳で死去した。「画家にとって美流渡で仲間と一緒にものをつくり、楽しんだ日々はかけがえのないものだったのでは」と最期を病院で看取った來嶋さんは話す。

ひとつの地域再生物語


「旧美流渡中学校交流館」の管理は「みる・とーぶプロジェクト」に業務委託しており、企画立案や作品の入れ替えなども同プロジェクトが行なっている。
 3階建ての交流館は、1階で工芸品など美流渡で活動するクリエイターの作品や書籍の展示・販売のほか、企画展の展示を行なっており、9月はマンガ家、ファミリーレストランさんの企画展「レーズンラムと申します展」を開催。このほか2階でもジャック・デ・メロ写真展と狛犬展などの企画展を開催した。
 そして3階がマヤ マックスさんの絵画や書など約60点を常設展示するコーナーとなっている。このほか市教委が企画する東部丘陵地域の歴史を学ぶ郷土資料コーナーもある。
 これらの施設の利用は4月から10月31日までの土日(午前10時~午後5時)で、冬季間は休館となる。
「作品は月替わりや3カ月替わりで展示しており、海外との交流も積極的にやっていきたいので今回はフランス人2人の作品展示も行なっています」(來嶋さん)
 マヤさんの作品については、近くのアトリエで約600点が維持管理されている。作品の遺贈を受けた來嶋さんが著作権の管理を行なっているが、残された作品にカビが生えたり絵具が剥落したものもあり、今後の保存修復が課題となっている。
「作家が亡くなった時、作品をどうするか。この問題は常にあります。マヤさんの絵については、絵画修復師の岩井希久子さんに調査を依頼し、今後どう保存修復していくか方針を決めます。保存修復を地域の担い手の力を生かしてシステム化できるか。そんな挑戦にもなる」と來嶋さんは話す。
 市教委の高居さんは「市としては助成金の採択に向けた後方支援をしており、岩井さんの調査研究でいい結果が出たら、北海道の豪雪地帯における絵画保存のモデルケースになるかもしれない」と期待する。
 閉校した中学校が地域とアートが響き合う交流の場に──。ひとつの地域再生と言える物語の今後に注目していきたい。


旧美流渡中学校交流館
岩見沢市栗沢町美流渡栄町53番地1
問い合わせ:☎090‐1762‐5588

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