未曾有の危機に直面するニセコで成長の立役者が語る〝現状と今後〟”

2020年5月号

世界が注目するリゾート地に成長したニセコ地区にもコロナ禍の暗雲が垂れこむ(写真はニセコヒラフ坂)

スキーリゾートとして国際的な地位を確立しているニセコエリア。豊かな自然環境に美味しい食、スキー客を魅了するパウダースノーなどの地域資源が世界から投資を呼び込んでいる日本でも特異なまちだ。北海道全体の地域活性化や経済成長を論じる上でも同地域の存在は欠かせない。新型コロナウイルス禍は、そのニセコにも深刻な影響を及ぼしている。“日本の中の外国”とも言える場所で、この感染症はどのような混乱を引き起こしているのか。そして危機を乗り越えた後、地域はどう変化していくのか。ニセコの成長を支えてきた立役者とも言える2人の外国人経営者を取材した。(佐久間康介)
 

危機にチャレンジする気概が必要。世界から投資呼び込む魅力は不変

NAC代表取締役 ロス・フィンドレー氏
 
 ──バブル崩壊やリーマンショック、東日本大震災などニセコは何度も危機を乗り越えてきました。今回の新型コロナウイルスによる事態をどう受け止めていますか。
 フィンドレー 倶知安に移住して28年になりますが、こんなことは経験がありません。影響が長引くとニセコの観光業はみんな潰れてしまいかねない。一時閉鎖して次にオープンできるまで待つしかないのではないか。ビジネスを止めてスタッフがみんな解雇されたら、次のオープンの際に果たして必要十分なスタッフを集められるのかという問題も出てきます。
 

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(ロス・フィンドレー)1964年オーストラリア・メルボルン生まれ。キャンベラ大学卒(スポーツ科学専攻)。アメリカやスイスでスキーのインストラクターをしながら89年に札幌のスキー学校のインストラクターに。その時、ニセコ倶知安のパウダースノーを体験、92年倶知安に移住。建設会社に勤務しながらスキーのインストラクターを続け、94年にNAC設立。ラフティングなど通年型観光地のきっかけを作った。55歳

(ベン・カー)1970年オーストラリア・シドニー生まれ。シドニー大学在学中に経済学を専攻しながら日本語を学ぶ。卒業後、東京の輸入商社に勤務していた際にオーストラリアの友人に誘われてニセコでスキーを体験。パウダースノーに感動し97年倶知安町に移住。母国からのスキーツアーを手掛けていたが、ツアー客からロッジの購入を持ち掛けられたことを契機に2002年、ニセコリアルエステートを設立。ニセコの不動産投資をリードする1人。50歳

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