地域に必要な診療所を継続し病診連携で高度な治療を提供
M&Aによって生まれ変わった「我汝会 きたひろしま整形外科」
今後の取り組みに意欲を見せる原院長
(はら・のりゆき)1963年札幌市出身。89年旭川医科大学卒業後、北海道大学医学部整形外科入局。2005年北海道大学医学博士学位取得。北海道整形外科記念病院、我汝会さっぽろ病院副院長などを経て19年10月、きたひろしま整形外科院長に就任。整形外科専門医、日本スポーツ協会公認スポーツドクター
Medical Report
人工関節置換術で全国トップクラスの治療実績を持つ「えにわ病院」(恵庭市・150床)などを運営する医療法人社団 我汝会(以下我汝会・木村正一理事長)。その我汝会がこのほど、北広島市内にあった「あさひ整形外科」の事業を引き継ぎ、同診療所が「きたひろしま整形外科」(19床)として再出発を果たしている。「我汝会の専門性と強みを病診連携で生かしながら、地域に愛され信頼されるクリニックを目指したい」。こう語る原則行院長(56)に、今回の事業引き継ぎの目的と今後の展望を訊いた。(11月26日取材)
人工膝関節置換術の概念図
人工関節置換術後のレントゲン写真
先輩院長からの依頼で引き継いだ地域の医療
これまで我汝会(わじょかい)は「えにわ病院」「さっぽろ病院(札幌市北区)」「あすなろ整形外科(札幌市厚別区)」の3施設を運営し、人工関節置換術など最先端の整形外科治療を提供してきた。この我汝会が今年10月1日、北広島市の旧あさひ整形外科の事業を継承してオープンしたのが「きたひろしま整形外科」だ。
あさひ整形外科は1992年に開院した19床の有床診療所。脊椎の疾患から骨折、捻挫など整形外科疾患全般を担う医療機関として地域医療に貢献してきたが、千坂禮靖院長の決断により、かねてから医師の派遣などで縁が深かった我汝会に事業を譲渡することになったものだ。
「さっぽろ病院」の副院長から赴任し、同診療所の舵取りを任された原則行院長が説明する。
「旧あさひ整形外科の千坂院長は札幌医科大学を卒業後、北大整形外科の医局に入った経歴で、木村正一理事長の先輩に当たる方。その千坂先生の依頼を受けて我汝会がM&Aで地域の診療所を引き継いだという流れです。きたひろしま整形外科として生まれ変わったここでは、我汝会グループとの連携で膝関節、股関節、脊椎など各分野に精通した医師が出張医として診療を行なうため、専門性の高い医療を北広島市内で受けられるメリットがあります」
常勤医は原院長を含め2人。我汝会えにわ病院やさっぽろ病院から非常勤の専門医合計10人が出張診療を行なっている。看護師は正職員、パートを含め9人。看護助手4人。理学療法士は2人だが今後増員する予定だ。
施設は1階に4つの診療室を設け、原院長ら専門医2、3人が外来を担当する。早期回復を促すリハビリテーション室のほか、閉所が苦手な人や子供でも安心して検査できるオープンタイプのMRIや骨密度測定器、デジタルX線画像診断システム、超音波骨折治療器なども備えている。2階は手術室と19床の入院病棟になっている。
10月の開院から約2カ月。原院長によると、事業継承前に比べ外来患者は約1・5倍に増加。人工股関節、人工膝関節などの手術も10月の1カ月間で20症例を手掛けた。膝関節疾患やスポーツ障害を専門とする原院長を始め、股関節、脊椎、足部など各分野のスペシャリストによる専門的な医療の提供は、地域が強く求めていたことでもあった。
「病診連携では手応えを感じています。地域の患者さんは当院で対応することを基本としていますが、設備面を含めてえにわ病院で処置したほうがいいと判断したケースでは、そちらにお願いする。逆にえにわ病院で手術をした患者さんを当院が受け入れるケースもあります。最近の事例では木村理事長が手術をしたえにわ病院の患者さんが当院に転院。週に一度出張診療する木村理事長が経過を診てくれるので、患者さんも安心して療養を続けることができました」(原院長)
「市民の健康に寄与していた地域医療を継続し、より専門性が高い治療を提供する。今回、事業を引き継いだ理由はそのふたつです。幸い、きたひろしま整形外科は、えにわ病院からクルマで20分程度と近く、補完関係を築きやすい立地でもあります。今後さらにシナジーを高め、地域の皆さんのお役に立っていきたい」(木村理事長)
オープンタイプのMRI を備える
2階病棟。廊下には機能回復機器も設置
我汝会の木村正一理事長
オープンタイプのMRI を備える
2階病棟。廊下には機能回復機器も設置
人工膝関節置換術の概念図
人工関節置換術後のレントゲン写真
我汝会の木村正一理事長
変形膝関節症専門医による安心の「人工膝関節置換術」
「膝がこわばったり、つっぱり感がある」「歩き始めた時や階段の昇降時に痛みを感じる」「正座ができなくなった」「15分以上歩けない」──日常生活でこんな症状があったら、変形膝関節症の疑いがある。
変形膝関節症は高齢化の進展に伴い今後、ますます増加すると言われている。変形膝関節症のスペシャリストして活躍する原院長に、この病気の原因や治療方法について解説していただいた。
変形膝関節症は膝関節のクッションの役割をする軟骨のすり減りや筋力の低下などで、膝関節に炎症が起きたり、関節が変形し強い痛みが生じる疾患だ。
原因は加齢や肥満による膝への負荷。圧倒的に女性に多く、発症年齢の8割が50代だという。初期のうちは自覚症状がなく、5年から10年と時間をかけてジワジワと進行し、気が付いた時は膝の痛みで歩行が困難な状況になる。
「手術が適用となるのは大多数が70代以降です。軟骨がすり減ると、膝を曲げた時に骨と骨がぶつかるため痛みを感じるようになる。さらに進行すると膝が脹れて水が溜まったり、膝と膝の隙間が極端に開くO脚など関節の変形も進みます」
変形膝関節症のように関節の変形が進む病気に関節リウマチがあるが、リウマチは免疫異常による疾患で変形膝関節症とは原因が異なる。
変形膝関節症の痛みを取り除くため、骨を削って樹脂製や金属製の人工関節に置き換えるのが人工膝関節置換術だ。
米国などでは、1950年代から股関節や膝関節の疾患に対して人工関節置換術が行なわれてきたが、日本で普及し始めたのは70年ごろから。膝関節については80年代から本格的に手がけられるようになったという。
手術が適応となるのは、薬や運動療法などを行なっても効果がない場合。手術は軟骨がすり減り、変形した膝関節の表面部分を削り、人工関節に置き換えることで膝の痛みをなくし膝の変形を改善する。
軟骨の役割をする樹脂製のクッション材には寿命があり、10年から20年で取り換え手術が必要だった。だが、近年は摩耗に強い超高分子ポリエチレン製のクッション材が開発され、長持ちするようになった。ただ、人工膝関節置換術は骨を削る深さや角度を細かく調節しなければならない、難度の高い手術だ。
「骨を削った面が傾いていたりすると、人工膝関節との間に緩みが生じるため医師の技量が問われます」(原院長)
同院では手術の確実性を増すため、骨を削る際にコンピューターによるナビゲーションシステムを導入。患部を3次元化することで、骨を削る位置関係深さなどをコンピューターが計測しモニター画面に表示する。
手術の翌日から立つことが可能で、リハビリを行なった後に2、3週間で退院できる。旭川医科大学卒業後、北海道大学医学部整形外科に入局。道内各地の公立病院や民間病院で人工膝関節治療に取り組んできた原院長は、これまで1000症例を超す治療実績を持っている。
「以前に私が手術をした患者さんを街中で見かけたことがあります。痛みで足を引きずって歩いていたその方が、地下鉄の階段を元気にスタスタ昇り、かつてO脚だった足も真っ直ぐに伸びていた。この姿を見て感動したことを今でも思いだします」
市民アスリートとしてスポーツ障害にも全力
高校時代から陸上選手として活躍してきた原院長は、今も現役の市民アスリート。「北海道マラソン」にもこれまで十数回出場し、ベストタイム2時間54分の記録を持つ俊足ランナーだ。
日本スポーツ協会公認スポーツドクターとして、札幌陸上競技会医事、日本学生陸上競技連合メディカルコミッション、日本アイスホッケー連盟医科学委員、札幌アイスホッケー連盟医事副委員長、アイスホッケー世界ジュニア選手権日本チームドクター、日本オリンピック委員会強化スタッフ(医・科学スタッフ)などの要職も歴任している。
そんな原院長が医学の道を志したきっかけもやはりスポーツだった。
「高校陸上部の先輩が旭川医大に現役合格したんですね。彼はインターハイなど全国大会での上位記録保持者。その進路を見て部活と勉強は両立できるのだなと。それで自分も目標を高く持ち、医者を志すことにしたのです。整形外科医の道に進んだのは、スポーツ由来の障害の治療に携わりたいと思ったから。スポーツ障害と変形膝関節症の治療は、私が手がける医療の両輪なんです」
いまもランナーとして練習に汗をかく。今回の院長就任前は1カ月に300~400キロは走っていたという。北広島に赴任してからはどうなのだろうか。
「このような立場となったこともあり、今では以前のように毎日トレーニングすることはできませんが、その日の仕事のスケジュールを考えながら、走る時間を確保するようにしています」と、爽やかな笑顔を見せた原院長。きたひろしま整形外科の前途は視界良好と言っていい。
目次へ
© 2018 Re Studio All rights reserved.