広域紋別病院の医師流出問題を追う【2】
内科医退職で被った痛手 失われた地域の医療とは

2022年04月号

地域住民の命を守る拠点となっている広域紋別病院

企業長に就任する宮川市長を直撃

広大なオホーツク西紋地区の医療を預かる広域紋別病院(曽ヶ端克哉院長・150床)の医師流出問題の続報だ。内部対立などを理由に昨年秋から今年1月にかけて副院長をはじめとする常勤内科医3人が病院を去る事態の中で、どのような医療が失われてしまったのか。そして、かつて同病院の誕生に当り汗をかき地域医療の存続に尽力してきた紋別市の宮川良一市長(67)は、今回の問題をどのように捉えているのか。折しも宮川市長は、現在の及川郁雄氏に取って代わり、この4月から運営母体である企業団の企業長に就任することが決まっている。2月下旬、宮川市長を市役所で直撃した──。
(本誌編集長・工藤年泰)


内部の意思疎通を図りたい


 冒頭に記したように、この4月から広域紋別病院企業団の企業長に紋別市長の宮川良一氏が就任する運びになっている。2011年に初代の企業長になってから約10年の歳月を経ての再登板ということになる。
 過去と現在の状況を踏まえ、今後どのように病院を舵取りしていくべきなのか──。2月25日午前、紋別市役所で取材に応じた宮川市長とのやりとりをまずは報告したい。
 ※
 ──今から11年前の2011年4月に運営が道からオホーツク西紋地域の広域自治体(紋別市・滝上町・興部町・雄武町・西興部村)に移管され、15年4月には現在地(紋別市落石町)に新築移転され現在に至っているのが広域紋別病院です。
 宮川
 15、16年前の道立時代に医師が10人以下になってしまい、救急をはじめとする地域医療が機能不全に陥いる事態が起きました。そういう状況になったため病院の運営を地域で引き受けようと西紋5市町村で企業団を組織し、広域的な病院として二次医療をしっかりとやっていただきたいということで、応援をしながらこれまでやってきました。
 ──企業団発足当時は宮川さんが企業長を務めておられた。
 宮川
 1年ほどで2012年から札幌医科大学(札医)出身の千賀孝治先生にバトンタッチし、18年以降はそれまで広域紋別病院の院長だった及川郁雄先生に担っていただいています。この18年の人事に伴い、当時副院長だった曽ヶ端克哉先生が現在の院長になったという経緯です。
 ──そして、この春から宮川さんが再び企業長に就任する。
 宮川
 これまで市として職員を派遣するなど病院と無関係だったわけではありませんが、自分自身の反省として少し距離ができてしまっていたという思いがあります。昨秋の内科医退職の際も決まった後でいろいろ情報が入ってきた状態でした。自分として病院で何が起きているのか分からなくなっていたところがあったので、

宮川市長は広域紋別病院誕生の立役者のひとりでもある(2月25日午前、紋別市役所)

2020年8月号の「広報もんべつ」で職員と共に活躍が紹介された粟田医師(中央)

広域紋別病院の曽ヶ端克哉院長(同病院のHPより)

宮川市長は広域紋別病院誕生の立役者のひとりでもある(2月25日午前、紋別市役所)

2020年8月号の「広報もんべつ」で職員と共に活躍が紹介された粟田医師(中央)

広域紋別病院の曽ヶ端克哉院長(同病院のHPより)

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