伊藤義郎名誉会長に未来への針路を訊く

2018年4月号

いとう・よしろう
1926年12月札幌市出身。札幌一中(現札幌南高校)を経て早稲田大学政経学部卒。50年伊藤組土建入社。その後、米国に留学。カリフォルニア大学経営学科大学院修了、コロンビア大学経済学科大学院修了を経て56年29歳で同社代表取締役社長に就任。61年に伊藤組を設立し社長に就任(現任)。2002年に伊藤組土建代表取締役会長、2008年に同社取締役名誉会長。このほかテレビ北海道初代社長、学校法人札幌大学理事長、札幌商工会議所第14代会頭などを歴任。現在も北海道スキー連盟会長、北海道神社庁神社総代会会長など公職多数。1965年に紺綬褒章、83年に藍綬褒章、2016年北海道功労賞特別賞、17年に旭日重光章を受章。91歳

明治の時代から道内の建設業をリードし、今年創業125年を迎えた伊藤組土建。その3代目当主として取締役名誉会長を務める伊藤義郎氏は、半世紀以上に亘って北海道経済の最前線に身を置いてきた。奇しくも今年は北海道命名150年の節目の年。温故知新を今一度胸に刻み、未来を切り開いていく原点の年にしていくべきだろう。数多の苦労を乗り越えて年輪を重ね、現在91歳となった伊藤会長が考える北海道の将来像とはいかなるものか。その同氏は北海道スキー連盟会長でもある。平昌冬季五輪に関する講評や拓銀破綻時のエピソードなどを交えながら、未来への針路を訊いた。
(2月22日収録)

平昌メダルラッシュの中スキー不振に次の一手を

 ──平昌オリンピックは日本人選手が大活躍しました。
 伊藤 スピードスケートはメダルラッシュに沸きましたが、それに比べてスキーはあまり良い成績ではなかったのが少し残念でした。
 私は北海道と札幌のスキー連盟会長に就いているので、やはり今後の対策を考えなければならないと思います。ただ複合(コンバインド)で渡部暁斗選手のようなレベルの高い選手は久しぶりです。世界的にもスキーの王者というのは、複合の選手のことを指しますし、渡部選手はその王座を狙えると思っていました。しかし、銀メダル獲得は十分健闘したと思います。
 ──スキー関連競技でもっと頑張って欲しかったと。
 伊藤 今回のオリンピックを終えて次に向けてどうしたら良いか、反省会のようなものが必要です。全日本スキー連盟のジャンプ部長や複合部長も札幌スキー連盟から出していますが、次の体制をどう作っていくかが課題になります。
 もっとも、道産子選手の活躍は素晴らしかったですね。スケートやカーリングはもちろん、高梨沙羅選手も銅メダルを獲得できて本当に良かった。
 女子のジャンプ選手は現在、国内に約30人います。これは、世界で二番目の選手の数です。人数はノルウェーが一番多いのですが、これから日本の女子ジャンプ選手はもっと増えると思います。選手育成は組織的にやらないといけませんが、男子はジャンプ少年団から育っていくケースが多いですね。札幌や旭川のジャンプ少年団でもジャンプ台を備えて、地域で育てていくことが非常にうまくいっています。
 ──2026年の札幌冬季五輪の誘致については、どのようにお考えですか。
 伊藤 昨年、スイスに行って札幌の立候補を国際スキー連盟の会長に相談したら、「是非立候補してください」という返事がありました。そのことは秋元克広市長にも伝えています。
 現在、IOC(国際オリンピック委員会)が五輪開催に向けて実施しているのは立候補検討都市とさまざまな意見を交換する『対話ステージ』と呼ばれるもの。施設はどのくらいの規模と内容を考えているのか、コストの検討はどうかなど、内容を詰めたうえで立候補する形になっています。その条件として市民投票などを行なうことが必要です。
 札幌市は、市民の意見を聞いたうえで今年9月の締め切りに向けて立候補表明という段取りになると思います。立候補表明してから市民投票を行なうと、北京と争ったオスロのように辞退ということになりかねませんからね。
 施設に関していうと、国際スキー連盟が大倉山ジャンプ競技場を改修することを要請しています。IOCも言っていますが、まず観客席が立ち見ではいけないということ。シアタースタイルとベンチスタイルの2つ。これがIOCの要望です。大倉山ジャンプ台は木のベンチで3万席を作る方向だと聞いています。
 ノルウェーのオスロ郊外にあるホルメンコーレンジャンプ競技場は、ベンチスタイルで5万席あります。IOCは、施設にはあまりお金を掛けないようにと言いながら観客へのサービスは求めているわけです。

昨秋、旭日重光章を受賞した際の記念ポートレート

道建協会創立100周年記念式典で高橋知事から北海道功労賞特別賞を贈呈される伊藤氏(2016年10月27日)

岩田圭剛会長から特別顕彰のレリーフを受け取る伊藤氏(同)

会長を務める北海道航空協会主催の「札幌航空ページェント」で(2016年7月24日)

昨秋、旭日重光章を受賞した際の記念ポートレート

道建協会創立100周年記念式典で高橋知事から北海道功労賞特別賞を贈呈される伊藤氏(2016年10月27日)

岩田圭剛会長から特別顕彰のレリーフを受け取る伊藤氏(同)

会長を務める北海道航空協会主催の「札幌航空ページェント」で(2016年7月24日)

遅れる移転計画
課題山積み北海道医療大の北広島移転

厚真の砂利採取場で起きた産廃不法投棄問題を追う

江差パワハラ死問題で交渉決裂
道「因果関係」否定貫く

つしま医療福祉グループ 「ノテ幸栄の里」が新築移転
地域包括ケアの拠点として在宅生活を支援

「北海道功労賞特別賞」に次ぎ「旭日重光章」も受章

 ──会長のスキーにかける情熱が伝わってきました。ところで、昨年は秋の叙勲を受章されましたね。
 伊藤 一昨年は、高橋はるみ知事から北海道功労賞特別賞をいただきました。特別賞を創設して私が2人目です。1人目はノーベル賞を受賞した鈴木章さんでしたから、お話をいただいた時に「恐れ多い。私では相応しくないのでは」とお断りしたのです。ところが知事が会社まで来て、「伊藤さんがうんと言うまで帰らない」と。それで根負けしてしまって…(笑)。
 一昨年は北海道建設業協会創立100周年の年でもありました。その前に私は会長職を退き、岩田圭剛さんが会長に就任しています。会員の皆さんからは、私が会長を続投して100周年を祝った方が良いのではと言われましたが、交代することにしました。なにせ38年間会長を務めましたからね。100周年式典の時にいただいた表彰状の中にも『38年の長きに亘って』と書いてあります。全国を見てもなかなかそんな例はない(笑)。
 昨年秋には旭日重光章の叙勲を受章しました。なぜ90歳になっての叙勲だったのかと皆さん驚かれたようです。大体70歳を超えるとどの業界でも叙勲の推薦があるからです。私も72歳のころに推薦をいただきましたが、辞退しました。
 北海道建設業協会会長で全国の副会長もしていたのですが、丁度、建設業の談合問題があった時期です。北海道では同様の問題は起きていませんでしたが、一部の大手ゼネコンに対して風当たりが強かった。そんな状況を踏まえて辞退した経緯がありました。
 今回も推薦があった時、関係者から「辞退するようなことはしないで欲しい」と釘を刺されました。日本商工会議所が真っ先に経済産業省に札幌商工会議所、北海道商工会議所連合会の名誉会頭として推薦してくれた。そんな経緯で、商工会議所としては北海道で2人目の旭日重光章を受章することになったのです。もう1人の受章者は、大蔵省出身で北海道拓殖銀行頭取を務め札商会頭、道商連会頭を歴任した広瀬経一さんでした。

トラック5台で運んだ2兆円拓銀破綻時の知られざる逸話

 ──ところで、拓銀破綻から20年が経ちましたが、この20年間は北海道の経済が大きく揺れた歳月でもありました。
 伊藤 拓銀破綻によって企業が非常に困ったのは確かです。当時の北洋銀行・武井正直頭取は北海道経営者協会会長で、私は商工会議所会頭で一緒に陳情などをしていましたから良く知っていました。しかし、当社は拓銀オンリーで北洋銀に全く預金をしていなかった。
 拓銀には、1万2000社くらいの取引先があり、それを北洋銀に引き受けてもらうということで同行は1社ずつ精査していったそうです。その時に武井さんから、「伊藤さんの会社は拓銀からも全く借りていないのですね」と言われました。
 当時は、お金が余っていて企業がいろんなことに手を出しているころでした。事業として成り立つのか疑わしいと思えるようなところにも、拓銀はお金を貸していました。北洋銀が1社ずつ調べていく中で、伊藤組土建には投資目的の借り入れが全くないことが分かったそうです。
 もちろん運転資金は借りていましたが、何かに投資することは一切していませんでした。当時、拓銀行員が来て10億円くらい借りて欲しいと言われたことがあります。借りたまま3カ月間、何もしなくてもいいからと。しかし、働くからこそ利益が出るというのが道理。そんなお金を借りる必要はないと、一切断っていました。
 引き継ぎの過程で、北洋銀が建設業10社くらいを引き受けないと言い出したことがあった。私は乗り込んでいって「引き受けないと大変なことになる」と直談判したことを覚えています。すると北洋銀が「伊藤さんの特別な紹介と書いて良いですか」と言うから、「いいよ」と。そうやって事なきを得たこともあります。だから北洋銀の本店には随分行きましたよ。
 ──引き受けてくれなかったら倒産していた企業も多かったのでは。
 伊藤 そうでしょうね。拓銀の破綻で企業が苦労した事例はたくさん聞いていましたから、間接的に北海道の力を落ち込ませた一因でもあると思います。
 あの時、大蔵大臣は三塚博(故人)さんでしたが、破綻発表の前日に三塚さんから私に直接電話が掛かってきました。
「拓銀が明日破綻するので、伊藤さんに頼みがある。日銀の支店長が行くから手伝って欲しい」と。「そうですか」と電話を切って待っていたら支店長がやって来て、「伊藤さん、今日から明日にかけてトラックを5、6台貸してくれないか」と言うのです。こっちは商売柄いくらでもトラックはありますから、「いいですよ」と。どうするのかと聞いたら、全道の拓銀の支店に現金を運ぶのだと言います。全支店に送る額は2兆円だということでした。
 翌日にかけて全道に現金を運んだのです。支店によってはびっくりしたところもあったそうですが、日銀はきちんと調べて預金額と同額を手配したのです。
 拓銀の資金繰りが厳しいというのは、報道などで知っていましたが、まさか破綻するとは思っていませんでした。北海道銀行との合併という道もあると思ったりもしましたが、それがダメになった際には、何故だろうというのが我々、経済界の思い。道銀との破談も拓銀破綻の大きな原因だったのだろうと思います。

交通インフラ整備は新発想でコミューター航空網の構築を

 ──建設業は、世の中にとってなくてはならない産業だと思います。北海道の発展のために建設業の役割とは何でしょうか。
 伊藤 国は北海道のインフラ整備をもっと進めることが必要です。北海道は他府県とは違う『北海道開発予算』がありますが、他府県とどう違うのかと思い、国に「他府県にこういう予算はないのですか」と尋ねたところ、多くの府県ではこういう予算の在り方は終わっていると言われたことがあります。
 1950年に北海道開発庁を設置しようとなった時、建設省の一部が独立するのではなくて、人口が少ない北海道で総合的な体制を作っていくために、どういうことができるかわからないが、まず組織を作ろうという議論があったことをよく覚えています。それから半世紀が経過して2001年に北海道開発庁は廃止され、国土交通省北海道局に変わりました。
 高橋知事が「私は東京で予算陳情をするため省庁を回る時、北海道は本州の20県に相当するくらいの大きさがありますと言うようにしました」と仰っていたことがある。疑問に思って真意を聞いたら、「北海道の大きさをまだ知らない役所がたくさんあるんです」という返事でした。確かに皆さん、大きいことは知っていますが、本当の大きさはなかなか理解されていません。
 開発庁廃止の時に、関係者が北海道のこの大きさをどこまで考えたかわかりません。私はもう一度開発庁を復活して欲しいと本気で思っています。これからの北海道は、日本の中でますますその役割が高まってくるからです。
 今、JRの地方路線が廃止されようとしていますが、北海道は新しい発想で交通のインフラを整備しないといけない。コミューター航空の充実も必要になってきます。東京に行くだけの空港ではなく、道内をきめ細かく回るようコミューター航空網を構築するのです。
 ──空の交通で言えば、道内7空港の民営化も2020年に実施されますね。
 伊藤 北海道は空港民営化に向けて動いていますが、7空港を対象にして残り3空港をどうするのでしょうか。7つに絞るのは、下手をすれば差別につながると私は思います。
 知事にも言いましたが、7つにしたのは大きな間違いではないでしょうか。やるのなら10空港全部をやらないといけない。新千歳で出ている大きな利益を地方に分配するようなことはしないという話もあるようですが、民営化で一本化すると新千歳空港が本社になって各空港が支店になるのか、子会社になるのか。そのことをどこも言及していない。
 私はこの件に直接関わっていませんが、やはり10空港一括でないと北海道はカバーできないのではないか。外れた3空港とも連携を取ってやるという話もありますが、連携を取るのなら最初から一緒にやればいいのであって大変おかしな話です。
 ──北海道経済の最前線で半世紀以上を過ごされた伊藤会長は、今後の北海道はどういう方向に進むべきとお考えですか。
 伊藤 北海道は相当に広大なので、行政的にもカバーするのは大変です。知事のように対外的に広さを訴えるのもいいですが、どういう地域にするかを考えることが大切です。北海道は誰がトップになっても一筋縄ではいかない。かつて、ものづくり産業の育成を苫東開発で進めようとしましたが、これも簡単にはいかなかった。そんな中で、私はまず農業の強化がこれからの北海道の鍵になると思います。
 北海道は日本の食糧基地でもありますし、農業をベースに発展を志向すべきです。日本の食糧自給率は40%を切って世界の中でも低く、何かの時に大きく問題になる気がします。世界情勢も時代環境も変わってきていますから北海道は農業を担って日本の自給率を高める力になることを目指していくべきです。
 新千歳空港の国際エアカーゴ基地は、これまで年間3000トンから4000トンくらいの輸出入でしたが、一昨年あたりから1万トンを超えるくらいに伸びていて、体制が追い付かないくらいです。北海道の農水産物は、アジアのほかアメリカ、ヨーロッパにも多く輸出されるようになりました。新千歳空港からは直行便がないので、台湾桃園国際空港や仁川国際空港に運び、そこから再び北海道上空を通過してアメリカなどに運んでいます。
 ホタテを積んだ大型トラックが朝5時頃から並んで、先に乗せてもらわないと困るくらいの勢いです。農産物や水産物はそんな活気に溢れてきました。それを見ていると、北海道はもっと本格的に農林水産業の体制を構築するべきだと実感します。
 日本は技術力があるので製造業が得意ですが、その技術力を農業に活かして生産性を高めることもできるでしょう。農業をやろうという人を育成することも必要です。農業法人があってもまだまだ自由度がありませんから、規制を緩和することも必要になってきます。
 ──伊藤会長は91歳になられますが、健康面はいかがですか。
 伊藤 毎年5月に札医大付属病院で各種の検査をしています。各先生にあちこち診察していただいていますが、いまのところ大丈夫です。
 大正15年12月生まれで、生まれて10日ほどで昭和元年になりました。北海道で生を受けたので、ここを少しでも良くするためにやらなければならないことは、まだまだたくさんあると思っています。
 ──ますますお元気で、北海道の発展に寄与していただくことを期待します。本日は、ありがとうございました。

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